『my classics!』3
シェヘラザード
マイ「好きなクラシック ベストテン」に入る曲だったので、この曲があーやの歌で聴けるとわかったときには、嬉しかったな。
半音を効果的に使って、実に美しいメロディー。それだけに、歌うのはとても難しいはずだ。
とくに原曲ではクラリネットやフルート、弦が代わる代わる演奏する、細かい符割のフレーズとか。歌に合うように音数を減らしているにしても、感情を込めて歌おうとすれば、簡単に歌えるフレーズじゃあない。『4つのL』収録の「アリエスの星」で「こんなフレーズまで歌うのか!」とびっくりしたのを思い出す。
このシェヘラザードのフレーズは、声で歌われることで、さらにオリエンタルな雰囲気が増して、実にいい。
千夜一夜物語だから、ってわけじゃないけど、お休みのおともにしたい。
仮面舞踏会
どの曲も素晴らしいのだが、やはり今回のアルバムではこの曲を白眉とせざるを得ないだろうなぁ。えらいこっちゃでこらぁ。
詞、アレンジ、歌が、まるで作りつけみたいにピタッと曲にはまっていて、ひとつの世界を作ってしまっている。はまると出られなくなりそうな、怖さも感じる世界。壺中天だね、これは…
仮面舞踏会はなぜ仮面を着けなくちゃいけないか?って問いの答えが示すように、それは”高貴”と”下世話”の境界面だったりするわけで、それはとりもなおさず人間の内面そのものだったりするわけだけど… あーやは狂気と書いていたと思うけれど、それを狂気と呼ぶならば、ある意味人間はすべからく狂っていて、同じ狂い方をしているひとは正常に見えるって考えることもできるかもしれない。
彼女は今回のアルバムの詞を、作曲家について調べたり、曲のアナリーゼから導き出したものをモチーフにして着想を得ていったそうだけれど、自分の中にまったくないものが出てきたりはしない。
あのように可憐で、育ちのよいお嬢様然としたひとからこういうものが出てくるというのは、ひとの不思議と面白さを思うとともに、これだから女性はコワい…と言ったら怒られそうだけど(笑)
彼女の詞では、ふつうはあまり歌詞には使われない言葉が出てきたり、非常に変わった独特の言い回しが出てきてドキッとすることがある。
以前だと、「voyagers」~飛ぶことを拒んだ僕の背中 歩いてゆくと決めた脚~と歌っているのを聴いたときにも「そういう捉え方があるのか!」とびっくりしたんだけど、今回でいえば~私の素顔が 本性を隠す仮面なの~と歌っているのが面白い。つまり彼女はここではっきり、「本性と素顔はイコールではない」と言っているわけだ。たいていのひとは、本性と素顔というのは、ニュアンスは違うけど同じものを指していると思っている。ペルソナってのがあるでしょ。装う人格とでもいうのかな。でも自分の心を覗けば覗くほど、実はひとは自分に対しても仮面をかぶって演じていることに気がついちゃったりするんだよな。
そうなるともう、本性と素顔と仮面、どれがどれだか自分にもわからなくなってくるというね。怖い怖い。
アルバムを購入して最初の日、この曲を聴いていてゾクリとするような怖さを味わった。それは↑で書いたような世界観のためでもあるのはもちろんなんだろうけど、それより”声”というもの”歌”というものを縦横に駆使して世界を作り上げてしまうという、その圧倒的な感じに対してだと思う。
「こんな感じ、ときどき感じるな、なんだっけ?」と思ってよく考えたら、トップアスリートの競技を見ているときだった。つまり、自分には到底、到達できない世界の先で、なにかとてつもない技能が展開されている、ということに対する怖れと憧れというかね。
クラシックの器楽曲をポップスに取り入れようとする場合は、部分的に歌になりやすいところを持ってくるとか、歌いやすいように起伏の小さいフレーズに改変するとかってケースが多い。シェヘラザードのところで書いた音数を減らすのもその一例だ。
でも、この仮面舞踏会に関しては「ええ!? そこはムリだろう!」ってところまで歌っている。E-D-C-B-B♭と駆け下りるとことかね。しかもそれがあると無いとでは、まったく完成度が違ってしまっていたはず。
そうそう。ギター弾きとしては、左チャンネルからずっと聴こえている、アコギのカッティングがツボ(笑)。実に旨みに溢れた音色なんだな。こういうのがまた、後を引くんだよねー。
また長くなったので、続きは明日だな。