自分音楽史 第二回 小学校低学年1
今でこそ、「NO MUSIC、NO LIFE!」を自他ともに認める僕だけれど、小学校1、2年生の頃、音楽が大っきらいだった。正確に言うなら、音楽の授業が大っきらいだったのだ。
どうして母が原因で音楽がきらいになったかを語るには、当時の学校の音楽について書いておかないと、話がつながらない。
小学校にあがるまで、僕は家で親が聴いているレコードの音やテレビ・ラジオで聴く音楽以上のものに触れる機会なかった。
小学校に上がった途端、音楽の授業というものに初めて触れたのだけれど、それは同時に、初めて楽器というものに触れる機会でもあった。
今でもおぼえているんだけれどね、音楽の授業では、先生がオルガンかなんかの前にひとりずつ生徒を呼んで「Ⅰの和音を弾いてごらん」とか言うんだ。
でもね。考えても見てください。鍵盤ってものを初めて見るんだよ。そもそも「ドレミファソラシド」なんていう言葉、はじめて聞いたんだから。先生が言っていること、100パーセントちんぷんかんぷんなのですよ。鍵盤なんてさ、規則性を知ってるからそれを頼りに和音を探せるんであって、知らない子どもが見たら、アトランダムに並んでるって思うよ、そりゃ。
また具合の悪いことに、学校以外でピアノやらオルガンやらを習っている子も相当数いて、そういう子たちは、なんの戸惑いもなく先生の言うことをクリアするんだな。先生は「○○ちゃんは出来てるのに、なんで君はできないの!」みたいな扱い。でも僕はあのたくさんある鍵盤の中から、いったいどうしてぱっと目指す鍵盤を探せるのか、さっぱりわからないまま、もう涙目。
だけどさ。それって酷くないか?
当時の子どもは、とにかく素直だったから(笑)「出来ないことは自分が悪い」って思ってたんだ。今だったら、問題にする親もいるんじゃないかなぁ。
だからといって、別に当時も先生を恨んだりはしなかったし、不当な扱いを受けてると思ったわけじゃないけどね。今でこそ、「子どもが理解できない場合、教え方に問題があるかもしれない」というアプローチが常識になってきて、効果的な指導法も求められるようになってきたらしいけど、当時はけっこうそのへん、属人的でいい加減といえば言葉は悪いけど、それがふつうだったから。
だけど、そのことが子どもの僕にとっては実は大問題だった。学校の音楽がきっかけで、母に大目玉をくらったことが原因になって、僕は音楽ぎらいになっちゃうんだな。
どうして母が原因で音楽がきらいになったかを語るには、当時の学校の音楽について書いておかないと、話がつながらない。
小学校にあがるまで、僕は家で親が聴いているレコードの音やテレビ・ラジオで聴く音楽以上のものに触れる機会なかった。
小学校に上がった途端、音楽の授業というものに初めて触れたのだけれど、それは同時に、初めて楽器というものに触れる機会でもあった。
今でもおぼえているんだけれどね、音楽の授業では、先生がオルガンかなんかの前にひとりずつ生徒を呼んで「Ⅰの和音を弾いてごらん」とか言うんだ。
でもね。考えても見てください。鍵盤ってものを初めて見るんだよ。そもそも「ドレミファソラシド」なんていう言葉、はじめて聞いたんだから。先生が言っていること、100パーセントちんぷんかんぷんなのですよ。鍵盤なんてさ、規則性を知ってるからそれを頼りに和音を探せるんであって、知らない子どもが見たら、アトランダムに並んでるって思うよ、そりゃ。
また具合の悪いことに、学校以外でピアノやらオルガンやらを習っている子も相当数いて、そういう子たちは、なんの戸惑いもなく先生の言うことをクリアするんだな。先生は「○○ちゃんは出来てるのに、なんで君はできないの!」みたいな扱い。でも僕はあのたくさんある鍵盤の中から、いったいどうしてぱっと目指す鍵盤を探せるのか、さっぱりわからないまま、もう涙目。
だけどさ。それって酷くないか?
当時の子どもは、とにかく素直だったから(笑)「出来ないことは自分が悪い」って思ってたんだ。今だったら、問題にする親もいるんじゃないかなぁ。
だからといって、別に当時も先生を恨んだりはしなかったし、不当な扱いを受けてると思ったわけじゃないけどね。今でこそ、「子どもが理解できない場合、教え方に問題があるかもしれない」というアプローチが常識になってきて、効果的な指導法も求められるようになってきたらしいけど、当時はけっこうそのへん、属人的でいい加減といえば言葉は悪いけど、それがふつうだったから。
だけど、そのことが子どもの僕にとっては実は大問題だった。学校の音楽がきっかけで、母に大目玉をくらったことが原因になって、僕は音楽ぎらいになっちゃうんだな。