皆さん、おはよーございます!

今日は還暦過ぎた私が、中学生だった頃の話です。あのね、ホームルームってあったよね。みんなでテーマを議論してルールを決定したりする。テーマの内容は憶えてないのですが、例えばAとBの意見があり、どちらにするかというときに、私は内心これはAだなと思っていました。ところが、私の隣の席の人が私にBの正しさを説く。彼女は挙手して意見することなく、お願いされて私が挙手してBの正当性を語る。多くの人は、それに反論するも、そういうときの私は、一旦こうだと決めたら、これでもかとBの意見を尽くす。ならばと多数決で決めることになり、AかBかで手を挙げる段になり、いざ…となったらBに手を挙げたのは私だけで、Bを説いた隣の席の彼女はAに。

ホームルーム終了後、クラスのみんなに私は変人扱いされたのでした。


今日のおやつ。

話しはこれで終わらない。これも、中学の思い出ですが、私が合唱部に入部していたとき、顧問の先生がコンクールに向けての指導をしていて、最初の打ち合わせではソプラノの人は第一章の終わり次第ステージから下がり、移動するようにとのことでしたが、先生は、ステージを移動する時間を取るのは無駄なので、ソプラノもその場に残るようにと変更。そして、会場に向かう道中で、部員の一人が私に言ってきた。本日、再び変更があって、ステージから下がり陰で待機することと。私は…誰に確認することなく、先生にも問いたださず、その部員の話を真に受けて、コンクールの本番に…ソプラノの人の中から私だけ動いた。部員たちも会場の観客もざわめいた。でも、もう下がってしまった。下がってしまったのだ。コンクールは失敗した。
帰りの道中、誰も一言も喋ることなく
誰も私を責めず、ただただ険しい顔をしていたのを憶えている。例の部員は笑っていたのだろうか、憶えてない。
顧問の先生も怒らなかった。逆に笑顔で私に個人レッスンがあった。バツが悪い私は…その個人レッスンを理由に
音程のずれが直せそうにないからと言って退部した。
これは、中学2年のときの話です。
中学1年は美術部にいて、油絵の具も筆も買えなかった私は、友だちが絵の具を貸してくれたときに、指でキャンバスに絵を描いたのを、顧問は褒めていたのですが、2年の先輩に注意されて退部した。中学3年は、自分で演劇同好会を立ち上げて、顧問の先生もついてくれた。楽しかった。なんだかんだで、私は私だった。
決して疑ることを知らないわけではない。けれど、こんな思い出も事実である。