もう直ぐで2歳になろうかという娘が居ます。
その彼女が自ら「キクタン」を開き、電子辞書を開き、英語の勉強を始めました。
もちろん日本語すらまともに話すことが出来ない彼女に勉強の概念などあるはずも有りません。
でも、英語を勉強しようとしています。一生懸命さかさまになったキクタンを見て、なにやら電子辞書に打ち込んでいます。微笑ましい光景です。
もっともネイティブにかこまれて育っている彼女には英語の教育なんぞ、今のところ必要も無いはず。
このキクタンは妻のもの。英語なんてクソ食らえ!大嫌いだーで30年近く通してきた彼女が、最近徐々にやる気を出し始めて英語を勉強しています。普段ネイティブたちとつるんでいるので会話の必要性を感じたのだと思います。
いやだいやだといいながらもやると決めたらやるのがワタシの妻。エンジンかかるのはとても時間がかかりますが一度エンジンかかりだすとトコトン突き詰めるタイプ。ちょっと天才系だなとつくづく思います。本当に極めるまでかなりの集中力を発揮するあたりが。
ワタシも英語やそのほかの分野の勉強を常に自宅でもしています。妻も子供を遊ばせながらも英語の本を読んだりトレーニングしているわけです。
そんな家庭で育った娘は2歳を前に自ら机へと向かう。
素晴らしい!!素晴らしすぎるぞ!この状況。
普通の親からしてみれば「いかに子供を机へ向けるか」なんというのは最大の問題でしょうが、なんとそれを早々に達成してしまったのです。
自分が子供の頃は「オトナになったら勉強しなくていいんだ。ジュースも勝手に買って良いんだ」って本気で大人を羨ましく思っていました。
そうではなく、「勉強するのが当たり前なんだな」と子供に思ってもらえるような環境づくり、すなわち親が常に勉強している様子を子供に見せることが大切なのでは?と思います。
自分の親はよくいる普通の親で休みの日はひたすら休む。自己研鑽なんてしたところは見たことは有りません。別にそれが悪いとは言いませんが、親が自ら勉強している姿を見せることで、子供が勉強することを当たり前だと思わせてしまえば、食事と同じように生活の一部となるはずです。
自分は常に何か新しい知識を定着させたい気持ちがあって、常に何か勉強していますが、その背中を見て子供にも子供の頃からそういう癖をつけて欲しいと思います。
よしなに
その彼女が自ら「キクタン」を開き、電子辞書を開き、英語の勉強を始めました。
もちろん日本語すらまともに話すことが出来ない彼女に勉強の概念などあるはずも有りません。
でも、英語を勉強しようとしています。一生懸命さかさまになったキクタンを見て、なにやら電子辞書に打ち込んでいます。微笑ましい光景です。
もっともネイティブにかこまれて育っている彼女には英語の教育なんぞ、今のところ必要も無いはず。
このキクタンは妻のもの。英語なんてクソ食らえ!大嫌いだーで30年近く通してきた彼女が、最近徐々にやる気を出し始めて英語を勉強しています。普段ネイティブたちとつるんでいるので会話の必要性を感じたのだと思います。
いやだいやだといいながらもやると決めたらやるのがワタシの妻。エンジンかかるのはとても時間がかかりますが一度エンジンかかりだすとトコトン突き詰めるタイプ。ちょっと天才系だなとつくづく思います。本当に極めるまでかなりの集中力を発揮するあたりが。
ワタシも英語やそのほかの分野の勉強を常に自宅でもしています。妻も子供を遊ばせながらも英語の本を読んだりトレーニングしているわけです。
そんな家庭で育った娘は2歳を前に自ら机へと向かう。
素晴らしい!!素晴らしすぎるぞ!この状況。
普通の親からしてみれば「いかに子供を机へ向けるか」なんというのは最大の問題でしょうが、なんとそれを早々に達成してしまったのです。
自分が子供の頃は「オトナになったら勉強しなくていいんだ。ジュースも勝手に買って良いんだ」って本気で大人を羨ましく思っていました。
そうではなく、「勉強するのが当たり前なんだな」と子供に思ってもらえるような環境づくり、すなわち親が常に勉強している様子を子供に見せることが大切なのでは?と思います。
自分の親はよくいる普通の親で休みの日はひたすら休む。自己研鑽なんてしたところは見たことは有りません。別にそれが悪いとは言いませんが、親が自ら勉強している姿を見せることで、子供が勉強することを当たり前だと思わせてしまえば、食事と同じように生活の一部となるはずです。
自分は常に何か新しい知識を定着させたい気持ちがあって、常に何か勉強していますが、その背中を見て子供にも子供の頃からそういう癖をつけて欲しいと思います。
よしなに