最近の楽しみは日本のドラマ「マザーゲーム」。

テーマは経済格差と母の愛及び小学校受験。

トンでもない金持ちから年収200万の弁当屋のお母さんまで、極端なほどの経済格差を抱える母達がそれぞれのやり方で子供を愛することを描写している とでも言いましょうか。


まぁ、これを見ていて思うのは「子供の教育ってどうやったらいいんだろう」ってこと。

昨今、幼稚園から英語教育なんて当たり前 なんて言われていますが…

自分の子供にはどうしてあげようか…何て考えてしまう。
周囲からはイギリスにいて英語が身について良いわねなんて言われますが、英語圏に居て英語が話せるのなんて凄くもなんとも無いことだから、そういう面で将来優遇されるのは個人的には良くないと思う。


日本の学校を見ていると「帰国子女枠」なんてものもあって、英語が話せるってだけで他が何もできなくても結構いいルートを進むことが出来るんですよね。

なんかそういうのって嫌い。ネイティブ環境下で育つということは英語が出来る分、他になにか「かけている部分」があるのだと思うのです。

だから、その欠けている部分から目を背けて、特別な待遇を受けるというのは人間としてダメになってしまう気がする。楽して生きているだけに見えてしまう。



自分が子供に期待したいのは、英語が話せるのは「英語圏に居たから当たり前」、それ以外の部分も国内の人達と同等かそれ以上にならないとダメだということ。もっと言うと、世界基準で自分がどの位置に居るのか?を意識しながら大人になっていって欲しい。


日本人は甘い。という話と似ている。


非常に良い環境で育っているから、日本で生まれたという圧倒的なアドバンテージに気がついていない。
たまたま日本に生まれたから今の生活が維持できているだけ という事に感謝をしなくてはならないと思う。


明日死ぬかも知れない とか 政府とゲリラが戦っていて治安最悪 とか
そんな状況からは無縁だからボケっとしているんだと思う。自分も含めて。

電車で携帯のゲームばっかりしている社会人!
日本に生まれたというアドバンテージを無駄にしすぎ!


ちょっと話が脱線したけど…

僕が言いたいのは、自分が生まれた場所や育った場所は自分ではコントロールできない外的要因なのだから、そこで得られるものは自分の能力としてカウントしてはならないと思うということ。


日本に居るからその仕事やその能力でその生活が維持できるんですよ。
英語圏で生まれたから英語が話せるんですよ。


そんなの自分の努力でも能力でも何でも無い。単なる運だ。


だから自分の子供には
「得意科目は何?」
という質問を受けたときに
「英語です」
などとほざくことが無いように教育したいと思います。


お金が腐るほどあれば私立に入れるのだろうか?
分からないなぁ…。


では良しなに。