ブラジルの都市には、仏教の寺院がちょくちょくあります。


何故、ブラジルなんて地球の裏側に日本の仏教の寺があるのかというと、実はブラジルは歴史的・文化的に日本と深い関係があるからです。

1908年、791人の日本人が笠戸丸でブラジルに移住して以来、戦前・戦後あわせて約25万人の日本人がブラジルに移住しました。

多くの日本人はサンパウロのコーヒー農園(ブラジルのコーヒー生産は実は世界一位です)やその他農園で働いていました。

日本人のブラジルへの移住は、大体1980年頃まで盛んに行われていました。

そして、今日ブラジルにいる移住者やその子孫である日系人は約130万人に上ります。

海外にいる日系人人口が一番多いのが実はブラジルで、国土が日本の23倍であるブラジルでも、日系人のいない州は存在しません。

またサンパウロには、「リベルダージ(自由という意味)」という世界最大の日本人街が存在します。

それほど、ブラジルにとって日本は身近な国なのです。今ブラジリアで会う人々はほとんど4世・5世の人々で、顔は日本人ですが日本語は全く話せない人が大半なんですけどね。

これら移住者・日系人たちは、農業を筆頭に、ブラジルの発展に大きく貢献し、一般的にブラジル人は日本人を「勤勉な人々」と捉え、ブラジル人の対日感情は世界でもトップクラスに良好です。

また、日系人の中でも、中にはコミュニティを作って、なんと未だに日本語だけで生活しているグループも存在するそうです。


他方、日本から見ても、国内に滞在している外国人数は、中国人・韓国人に次ぎ、ブラジル人が第3位です(約30万人)。

これは日系人の就労ビザ取得条件が、他の外国人と比べて緩和されているからです。

彼らは出稼ぎ労働者として、静岡(とりわけ浜松)や愛知、岐阜、群馬等の工場で働き、これらの地域にはブラジル人コミュニティーが存在しています。


以上のように、日ブラジル両国は、地理的距離以上に緊密な関係があるのです。

しかし一般に、日本人のブラジルに対するイメージは、サンバダンシングピープル・サッカー・治安の悪さ等と断片的はものに留まるように思います。

戦前・戦後にブラジルに渡った日本人移民の生活の過酷さは、並大抵なものではなく、熱帯特有の病気で亡くなった方々も多かったと聞きます。

日本の対外イメージの向上及びブラジルの発展に大きく貢献している彼らの軌跡を、より多くの同胞に知ってもらえたら彼らの努力もある程度報われるのではないかと思ってちょっくら日記を書いてみました。



長文となりましたが、これを読んでブラジルに対して一層の関心を持ち、遊びに来てもらえたら幸いです(←ここ一番重要w)。