16日の仕事から帰って、だから正確には17日の深夜、妹から電話があったことを奥さんから聞いて、それからもう10日がたったんだなあと、あまりに早い時間の流れにやんなっている。
妹が母の家に最後に届け物をしたのが11日で、それから誰も母と会ってない、だから警察は11月12日が「その日」だと決めて、命日みたいになっているけれど、妹が見た食事の経過からはそれは14日か15日より前とは考えにくく、だから俺も母の死んだ日は、14日ということにした。
何度も会いに行きたいと思っていた。思うだけで済ませていたのは収入の乏しさのせいだった。
すべてを妹夫婦に任せっきりにしていて、そんなふうにしている長男として、とても顔を出せたもんじゃない、と思っていた。だから母には年に一度か二度、電話はしていたけれど妹には年賀状を送っていただけだった。
妹には14年前に、俺からしたら甥ということになる息子が生まれていたんだが、初対面はこういうことになるんだろうなあ、と少し覚悟はしていたけれど、実際にこうなってみると、なんてことをしちまったんだと思わずにはいられない。
甥を囲んでその両親とこっち夫婦、そして母とで笑ってテーブルを囲むことだってできたのだ。
ほんとになんてことを。
81才と言ったら年齢だけで言ったら十分なのかもしれない。
なのかもしれない。
この一言をまるで何かの道しるべみたいに頭の上におっ立てて、俺はきっとずっと悔いていくのだ。
ブログなんかに書くべきことじゃないのはわかってるけれど、妹に手紙を書こうと思っても、自分だけの記録にしとこうと書き始めてもどうしても止まってしまうので、ここに記した。ただの記録です。