1080円、おばちゃんに渡した。その日のサービスメニューがタンメンで580円だったからだ。
500円玉で釣りをもらおうと思った。我がコインホルダーに500円が不足してたから。
おばちゃんが奥から戻ってきて、釣銭をよこしながら言った。
「はい、450円ね」
「え?……俺、1080円……」
「うん、1030円だったのね」
おばちゃんはにこやかに、いつも通りの愛想のよさでそう言った。
まただ。客に渡された金をろくに見もしないで釣りをよこすのだ、たまに、この人は。
だからいつも必ず十円、百円、五十円、サイズの小さなものが上に来るように重ね、
ジャラ銭の内容が一目瞭然なように手渡していた。
それを、その日は怠った。
おばちゃんの手の上で50円玉が10円玉の下にもぐり込んでいるのを見た時、まじった!とは思ったが、
まあそうそう見落とすもんでもないだろうと高をくくって待ってたら、これだ。
もう五年以上、通っているラーメン屋だ。
正月にはタオルか瓶入り胡椒を必ずくれる。
そういう間柄だ。
出すものはまずくない。ごく普通のものをごく普通に、作りが多少大雑把だとは言え、出してくれる。
今時、なかなか、ありそうでない店だ。だから五年以上も(十年近いかもしれない)通っている。
いや……、いた。
もう、いいや、と思ったのだ。
まあまあおいしいものを出すし、ボロで見た目ちょっと汚ねえけど不潔じゃないし、落ち着けるし、
だから五年十年も通ったが、もう、いいや。
客から渡された金もろくに確かめないような店は、
客が食ってるそばでタバコすぱすぱ始めるような店は、
さやエンドウの筋も取らないような店は、
それをいつも残してるのに気にもかけないような店は、
そして、よしんば俺の渡したのが本当に1030円だったとしよう、
でも俺は1080円渡した気でいる、
そんな常連客を前にして、自分の落ち度かもしれないとも思わないような店は、
いっつも来てもらってるからね、と心の中でつぶやき、
50円ぐらい、いいか、とも思えないような店は、
もう、いい!
50円が引き金となって、ぜんぶ切れたの巻。
さばさばした。
しかし、さばさば、なんて思う事自体、これが俺にとってとても大きな事件であることを意味していた。
寂しいのだ。
恋人と別れた気分なのだ。
なんつっても五年十年だからね。週に2・3度。
次の出番で、昼メシ場所探しをして一軒の食堂(中華&丼)で五目ラーメンを食った。
これでいいのだ、と思いつつ、食った。
もう、いいのだ。これで、いいのだ。
実に、恋人と別れた翌日の気分だった。
秋風な感じだった。