川べりの遊歩道を歩き始めた俺は感謝する気持ちに包まれていた。単純に今この瞬間の自分を支えてくれているトモイチの音楽に対する感謝だった。
トモイチの音楽はほぼブルースなのだが、端緒はロックにあり、そこから童謡へ戻ったりした末に、民謡まで行ってしまったりしつつ、その経緯の中で無国籍な風味をも取り込み、あげくにアコースティックギターで無理やりブルースへ軌道修正した、そんな雰囲気の代物だった。アコースティックギター&ヴォーカルが二人、それにカホンという箱型のパーカッションの三人で構成されていて、バンド名はミリオンダラーバッシュ。
自分にとって唯一のトモダチと言える人間がどんなに忙しくてもどうにかこうにか万難を排して音楽を続けている、という事実が素晴らしかった。そんな頼もしい存在が人生の範疇に存在していてくれることが素晴らしかった。そのトモイチをまた支えているジャンピン・ジャック・風ズの二人の存在が素晴らしかった。CDという形で彼らの音楽が今ここにあることが素晴らしかった。ありがたかった。
しかしそう考えていくとどうしてもこの素晴らしさを享受している自分という存在の根源をも考えないわけにはいかなかった。
スズキか……。
俺をこの喜びの世界に存在たらしめた、79才のふがふがジジイ。
「生まれたばかりのあんたを車に乗せて仕事して回ってたんだよ。イタチ製作所の女子事務員にかわいいかわいいってな、ずいぶんかわいがられたんだよ。どうしようもない事情で離れてしまうことになったけどな。そのへんのことはおかあさんに訊いてもらえばわかるんだけどね。うん、話したがらないかもしれなけどな」
結婚しないまま俺は産み落とされた。その時どんな事情がふがふがスズキとおふくろの周囲にあったのか、聞く耳をもたないまま電話を切ってしまったが、俺が生まれて早々に別れなけらばならなかったのだから相当な事情が俺が生まれる以前からそこに横たわっていたに違いなかった。しかし俺はとにかく産み落とされたのだ。
頭の中に生じはじめた感慨に俺は戸惑った。あんな唐突に知らされていいことじゃない、という感情で俺はその感慨を否定しようとした。感謝するなんて……。突然かけてきた電話でこんなふうに事実を打ち明けるいい加減なジジイに感謝……!? できるわけがない。
しかし頭の中でどんどん広がっていく感慨に俺は抗えなかった。感情でどんなに否定しようとしても、まるでブラックホールのように、感謝の明るい光は見る見る膨れ上がっていった。
明るい光の中に、ひとりまたひとりと顔が浮かび上がってきていた。おふくろ。俺を育てることになってしまった、今は山本家の墓の下で眠るオヤジ。高校時代から5年付き合った、はじめて愛した女の子。高校時代にいつも一緒だった、しかし俺の組んだバンドに加わったことで俺のエゴに辟易し離れていったとても大事だったはずの友達。大学時代のたくさんの仲間たち。……トモイチ。そして、ほとんど稼ぎにならない仕事にどうにかこうにか「ありついているだけ」という状態の俺に代わってしっかりした仕事に毎日精を出し尽くしている妻。
感謝の念がそこいらじゅうから匂いたつ、ダイアモンドの花が咲く野ッパラのど真ん中を、どしどしどしどし無頓着な顔つきで俺は歩いていた。
(つづく)