プログラミング好きの札幌在住♀です
昨日の関ジャムは
宇多田ヒカル特集でした。
めっちゃくっちゃ
大っっっ好きだった、
(だった?)
宇多田ヒカル。
高1あたりから
酸いも甘いも
病めるときも健やかなるときも
ずっと、そばで聴いてきた音楽。
シングルが出るとなれば
発売日(厳密には前日の14時くらいに入荷するから前日)に買いに行き、
2,3曲目のリミックスとかも大いに楽しみ、
アルバムが出るとなれば
絶対に手に入れて
CDが擦り切れるんじゃないかと
いうくらいに
とにかく再生、シャッフル再生、リピート再生
していたわけなのですけど
最近、
めっきりCD自体を買わなくなってしまいました。
ちょうど、
人生の過渡期あたりから
音楽配信サービスが始まって
自分の引っ越しやら
断捨離やらが必要になって
CDを持たない、
という暮らしを選び始めた。
するとどうでしょう
新しい音楽を聴かなくなってしまった
すでに持っている音源
または
音楽配信サービスで
昔好きだった曲を
「あ~懐かしい~」って
言って満足するようになってしまった。
音楽配信サービスの中から、
新譜を探すのって一苦労なんですよ。
発売日ごとに並び替えとか、
できるんですけど。
どれがどれ~?
ってやっているうちに、
「めんどくさっ」
となってしまい。
普段はSpotifyで音楽を聴いていますが
「This is 宇多田ヒカル」を
ただ垂れ流すような状況。
CDを所有していた頃の情熱はどこへ。
あの頃、
あんなにも
歌詞カードを穴が開くほど見入っていたのに。
好きなものが
クラウド上にだけ存在するって、
実感がなくて
情熱が薄れますね。
で、
「最近の宇多田ヒカル(聞いてないから)よくわからん」
とか思っちゃっている。
そして、
関ジャムを見ながら
宇多田ヒカルの知らない曲について
評論しているのを
何となくいい気がしないまま見ている。
なにこの感情
身勝手か。
「私も買いましたっっ!!」
(または、ダウンロードしましたっっ)
という「越(または悦)」が
感じられていないから、
もう、宇多田ヒカルは
知らない人
って距離を感じちゃう身勝手。
こういう感情、
データのクラウド化によって
言葉にはしないけど
どこかで感じている人いるんじゃないかな。
いや、いてほしい。
そして語りたい。
CDを持たない、
ってところについて
少し触れておきたいのが、
「ミニマリストの何が悪いか?」
というところなんですけど
「モノを減らし過ぎると、好き嫌いの感情に疎くなる」
と誰かが言っていたけど
本当にそう思う。
あまり色々持つ暮らしをしたくないけど、
好きなものまで排除して生きるのもよくないよなぁ。
よし、じゃあ今日は
Spotifyで宇多田ヒカルの新譜を聴こう。そうしよう。