酒生児という言葉がある。か、どうか定かではない。酒産児というべきか。  医学的には、胎児性アルコール症候群と呼ばれている。  
酒生児という言葉が妙に引っかかる、というより酒生児にこだわっている。  成人式を終えた後のことだ。体調を崩した。病院に行っても原因がわからない。  指圧のエライ先生に見てもらい、オイルマッサージという妖しい魔術らしき治療を受けた。  どエライ金を支払った。  最後の決め手が肛門に中指を突っ込んでツボを弾くという荒技だった。1ヶ月に及ぶ治療だっ た。何となく良くなった。というか普通に生活できるようになった。  後日心配してくれていた兄が話してくれた。「実は、お前酒生児らしい」酒生児???。  「お前の親は、まぁおれも同じだが、どエライ酒飲みでその酒からお前が産まれてきたらし い」。えっ俺だけ?「そう、事業に失敗した父親がストレスで大酒飲みになった。その後に産ま れたのがお前という訳だ」。
 医学的に説明する。
 『胎児性アルコール症候群(FAS: Fetal Alcohol Syndrome)は、出生時の低体重や奇形などに焦点 があてられることが多かったが、現在ではADHDや成人後の依存症リスクなどより広い範囲での影 響がみられることが分かっており、胎児性ルコール・スペクトラム(FASD: Fetal Alcohol Spectrum Disorders)と呼ばれることもある。』
 なんのこっちゃ?ADHDって何?  『ADHD(注意欠如・多動症)は、「不注意」と「多動・衝動性」を主な特徴とする発達障害の 概念のひとつ。ADHDを持つ小児は家庭・学校生活で様々な困難をきたすため、環境や行動への介 入や薬物療法が試みられた。ADHDの治療は、人格形成の途上にある子どものこころの発達を支援 する上でとても重要である。』(e-ヘルスネット参考)
 どうりで、心当たりがあり過ぎる。  僕は子供の頃あまりにも注意力が欠けていた。歩けば棒に当たるし、自転車に乗れば車にはね られた。いくら漢字ドリルをしても、自分の名前すら書けなかった。  ある時知能指数の試験があった。勉強の成績は当然学年でベベ争いをしていたし、注意力も集 中力も無い僕は授業の内容なんてサッパリ分からなかった。  そんなある日、先生が突然親を呼び出した。母はモゾモゾとなんとなく嬉しそうに話した。  「あんた、学年で一番賢いねんって」。僕は知っていた。ベベからね。「知能指数が一番やね んって」。
 ・・・。  頭が真っ白になった後、僕は薄っすら笑った。やっぱりと思った。心当たりはあったが、言い だせなかった。小さい頃から内緒でお経を読んでいた。不思議と読めない筈のお経の意味が分 かった。漢字は書けないけど読めた。他人の心の動向が読めたし、次の瞬間何が起こるか何とな くだけどわかっていた。不思議な現象も見れたし、起こせた。と、書いてしまえば怪奇現象だ が、そうじゃ無い。あくまで私生活で起こり得る事柄だ。説明しにくいのでカットする。後日気 分が乗れば書くことにしよう。
 
  本題に戻ろう。
 次の日から先生の態度が変わった。
 何やら熱心に僕に何かを説明した。
 理解不能。
 やっぱりマイペースで生活を続けた。
 ただ、先生に薦められた読書にはハマった。
 たくさんの本を読んだ。
 でも何も変わらなかった。
 と、思っていた。
 いつの間にかクイズが得意になっていた。
 でも相変わらず漢字は苦手だった。
 ときどき怖いくらいに頭が冴えた。
 その後必ず無気力になった。
 頭が冴えた時の僕は何でも出来る気がした。
 ドーパミンがあふれていたのだ。  普段出ないくせにこの時だけ溜まりに溜まったドーパミンが出た。  突然集中力が溢れ出すように、ドーパミンやアドレナリンといった脳内麻薬物質が身体中に行 き渡るのだ。その時の僕の状態にもよるのだが、なんでも出来るスーパーマンになってしまう。  もし、この時にうつ状態ならとんでもない事をしでかしそうだったし自分自身で制御不能に 陥った。ジッとアドレナリンが通り過ぎるのを待った。逆に気分がハイな状態の時は  何をやらかすか分かったもんじゃない。幸いにもこの先僕は何をしでかすのか見えたので恐怖が 勝った。恐怖の根源も知っていた。人が人で無くなる恐怖だった。  だから僕は不良を気取るしか無かった。不良の心を読み上手く世渡りもした。僕は人でなしに 近い不良を演じた。そうする事により僕の身勝手な言い訳が樹立した。ただの自己満足のようだ が僕はこうする事で自分の崩壊を防いだ。  ドーパミンが出終わると、学校を休んだ。不良だからという理由だ。  本当は自分を消してしまいたいくらいに落ち込んでいた。  好きな女の子もいたがドーパミンが出た時の事を考えると近づけなかった。  それも酷く落ち込んだ理由のひとつだった。  こうしてひん曲がった思春期をなんとか耐え抜き二十歳を迎えたのだった。  プログラマーになった兄の仕事を僕は手伝っていた。  兄は僕の発想を褒めてくれた。唯一僕の理解者だった。  不良という隠れ蓑が無くなった僕はストレスが溜まった。
 体調を崩したのもこの頃だ。
 もう少し酒生児について延べておこう。  基本的には妊娠中、母親が飲酒する事により生まれてくる子供に様々な影響を及ぼす事があ り、その総称が胎児性アルコール症候群だ。色々障害が起こるようだが人によって様々みたい だ。僕の場合最も現れた障害が注意力散漫と集中力欠如だった。他の人は自閉症になったり発育 不全だったり知的障害者もいた。僕はまだ軽い方だったかもしれない。ただ、時折起こるドーパ ミン流出が僕の恐怖を煽った。  勿論知能指数のテストの時のように上手く使えれば良いのだが、そうはいかない。この状態を いかに上手く使いこなせるかが、今の僕の課題だった。

  ドーパミンとアドレナリン、言って見れば麻薬の一種だ。使い方を間違えれば犯罪者にだって なれる。変な言い方だが、安定した普通が一番平和的な幸せなのかもしれない。  酒だってそうだ。麻薬みたいなものだ。そこから生まれてきたのだからこんなひん曲がった生 き方になったのかもしれない。もっと自由に恋愛や素直に青春を謳歌したかった。  敏感に物事を捉えてしまう、若い時は恐怖心を煽ったが、今となっては落ち着きを感じ取れる ようになった。より深く理解する事により自信めいた不動の心が芽生えたのかもしれない。  酒生児だって、理解し、受け入れれば欠点だって長所になり得るのだ。  ひと通り経験しなければ物事の本質は理解し難い。ただ経験してしまえばこっちのものだ。  あれやこれやと考察に考察を重ねれば何とか本質にたどり着けそうだ。
 
 気分が乗ったので書く事にしよう。
 
 思春期の頃、よく空を飛んでいた。もちろん現実ではなく空想だ。いろんな物を見て回った。
 友達の部屋や好きだった女の子の家に行ったりした。友達の部屋には好きなアイドルのポス ターやなぜか富士山の写真が飾ってあった。好きな女の子の部屋には入れなかった。彼女が拒ん だからだ。仕方なく海に行った。限りなく青く丸い水平線を眺めたり、雲の上で昼寝をした。  ハワイ島にも行ったしマウイ島にも行った。途中エアポケットに落ちて死ぬかと思った。  次の日学校で友達の部屋のことを聞いた。好きなアイドルと富士山の写真が飾られていることを 聞いた。おじいさんの家に遊びに行った時すごく気に入って貰って牛一頭貰って帰ってきたらしい。  
 好きな女の子には何も聞けなかった。  
ボーッとしている僕を見て友達は「あれ、お前なんか焼けたんじゃね?」と友達が言った。