暮れと新年に麻雀を囲んだA君の訃報が突然届きました。

劇団時代に文部大臣賞を受賞した「どろかぶら」の人買い三郎でデビューした東北出身のG君です。

いつも歩く時には酸素ボンベを引いてくるので、1月3日に合った時もあまり心配せずにいましたが、

16日の朝、救急車で運ばれたと聞き、その夜には永眠しました。

本当にあっという間の死でした。

いつ、何があるかわからないと・・・思いました。

 

G君と、退団後に再び出会い、結婚していたピアニストのMさんの悲しみの深さに、

言葉をどうかけてよいのか分からないくらいでした。

私は・・・・

16日には仕事もあり、連絡もできず夜になってから詳しい話を聴きました。

その時の彼女の声に、愛しきった二人を見た思いでした。

遠いい日を見るような気がして、むしろ感動でした。

 

私の離婚した相手はまだ劇団に在籍し、結婚もしているので、

伴侶を死によって喪う衝撃には無縁ですけれど、

私が38歳の夏、

突然離婚を言い渡された部屋の、夕日の赤さを思いだしました。

中国の紅衛兵の時代に劇団が、そのイディオロギーから判断したのでしょう、

離婚の通告でした。

指導的な立場にいた、私の稽古の厳しさが、

中国の三角帽を付けられた指導者と重なりました。

 

人と人との深い繋がりは政治などには介入されないはずです。

そんなこと当り前ですが、当時の私達にはその絆は無縁だったのだな・・・と、今思い返しています。


ピアニストのMさんは「劇団に入ってすぐにG君にひかれた」そうです。

そして退団後のOBの会「いつもの会」でふたたび出会って告白したそうです。

「勇気を出して言って良かった」のです。

半分の人生が過ぎてから、お互いにともに過ごしせたのだから・・・・

 

「いつも、朝ごはんのあとは、話がつきないんだよ・・・」だそうです。

同じ青春時代を共に語り合えるのは・・・幸せだったと思います。

1月16日の夜、

彼ぁら、苦しい息の中で「次の世界では、若い日に出合おうね・・・」とラインがあったとか。

 

急変した16日には、お姉さんや子供さんも駆けつけたそうです。

遥かに合掌いたします。

G君安らかにお眠りください。