
8月15日に無条件降伏が決まってたのに、当市が何故空襲されたのか判りませんでした。
降伏の通告した時はすでに当市は火の海になっていました。
伊勢崎市は当時、零戦や隼戦闘機などのエンジンやボディなどを作っていました。

日本軍の抵抗は全くなく探照灯に浮かび上がって悠々と飛んでいるB29爆撃機を恨めしく見てるだけでした。
高射砲もあったのに何故撃たないんだ、と悔しい思いをしました。

市の中心街です。空襲後バラック建てがあちこちに見えますね。
終戦勅語は15日のお昼でしたがまだこの辺は煙が一杯立ち込めていました。
私が小学6年生でした。

この爆撃機を下から悔しい思いで見上げていました。

焼夷弾はこの様に束になっていて空中でバラバラになって落ちてきました。
中から生ゴムのような物が飛び出してきて建物の外壁に張りつき火災を起こします。右側は我が家に落ちた実物なんです。戦後これで鍋や農具などを作りました。



私達はこんな竹槍で戦う訓練を受けていました。
勿論、靴は誰も履いてません。
靴などありませんでした。