原発の問題
 
 私たちの世代(現世代)がやり残した課題、今の若者が将来背負わなければならない問題について、懺悔の気持ちも込めてこのブログを書いている。ブログの書き方もわからない、何の特別な素養があるわけでもないただの年寄りだけれど、現世代の思いを言葉にしておきたい、そして申し訳ないけれども若い世代の人に自分のこととしてしっかり考えてほしいという切羽詰まった願いからだ。
 政治に関する不満や愚痴は山ほどあるけれども、それを読んでほしいわけではないので、やはり積み残した政治の課題について書こう。
 一つは原発の問題だ。私が若い頃、「原子力の平和利用」という言葉をさかんに聞いた。「原子力はウランを燃やして発熱し、残った燃料を再処理すればまた使える夢のエネルギーだ」と宣伝されていた。高度成長経済と伸びる生活水準を支える電力を供給する必要から日本中に原発がつくられた。そして2011,3の大震災に伴う福島の原発事故。3,11の時点で日本全国54基の原発があったらしい。そのすべての原発を停止し、一斉点検した。その結果、十数基の原発は廃炉と決まった。
 原発がどれほど危険なものかということを国民ははじめて知った。外国で原発事故が起きる度に、日本の原発では考えられない事故だとか何とか言って、国民を安心させてきた。「安全神話」とかいう言葉で日本の技術の高さを誇張し、国民をだましてきた。なぜかと言えば、福島の原発だって、はるか以前に「十数㍍の津波が来た場合、発電機がすべて使えず原子炉が溶解する事故が起きる」と国会で追求されていたのを知っている? その時の答え、「そのような大きな津波は現時点では想定されていない」で済ましているんだよ。この回答者こそ訴えるべきだろうけど、もう時効なんだろうね。このとき非常用発電機の位置さえ変えておけば良かったんだよ。また廃炉が決まった原発は活断層の上にあることが分かった。「活断層の上にはつくらない」というきまりがあるのになぜつくったのか? 原発がつくれる場所は狭い日本にはそう多くない。しかも日本列島はどこもかしこも活断層だらけだ。「古い活断層なら大丈夫じゃないか」と、こんないい加減な判断でつくってきたんだよ。しかし、さすがに「想定外でした」では国民も納得しないだろうということで廃炉にすることとした。
 廃炉っていうのがどれほど大変なことか、福島の処理を見ればわかるね。まだ何十年もかかるらしい。それを五十何基やるわけだ。時間もかかるしお金もかかる。だけど一番大変なのは、廃棄する核のゴミをどこにどう処分するかという問題。福島の核のゴミ、それすらまだ決まっていない。放射能が消えるまで何十万年もかかるというのだから放射能が漏れないようにどう保存するのかという技術的な問題もある。
 だいたい現在の科学技術で解決できないものをこうも簡単に五十何基もつくってきた政治家は何か言いなさいよ。どうしてこんなでたらめなことがまかり通ってきたのかと言えば、東芝や日立など日本の大手メーカーが原発を開発していたからだ。高い開発費をかけて作り出した製品を国に次々に売りつけたわけだ。1基どのくらいするのかな? 1兆円くらいかな? 壊すのはもっとかかりそうだね。
 原発の耐用年数は40年という設定でつくられているというんだけど、もう40年経つ原発もあるし、あと20年もすればほとんどの原発は寿命がくるのでは? ところがここにきて、原発にだけ寿命があるのはおかしい。補修さえすればいつまでも使えるはずだという主張が通り、寿命が延長される原発も出てきた。いいのかほんとに。ドイツでは福島の事故を受けてすぐに「原発ゼロ」に向けて舵を切った。当事者である日本の政治家は「安全神話」にすがっているのか、原発企業と手を切れないのか、方向性がないような気がする。
 小泉元首相が「だまされていた」とか言って、「原発ゼロ」を主張している。それじゃあ済まないだろうと言いたい気もあるが、何もなかったように現状のままですまそうとしている現在の閣僚よりはましか。
 ようするに先送りなのだ。今を逃げ切っておけば、後のことは後の者がやるだろう。あと数年しかないんだから、貧乏くじを引くことはない・・・。そういう腹なんだね。どうでもいいことにはえらく張り切っちゃって、こんな重大な課題には何の決断も示さないで、なりゆきなんだから。
 というわけで、これらの課題は君たちに丸投げされたも同じだ。ほんとうに申し訳ないと思うよ。私に謝られたって意味ないですよ・・・と言われれば、その通り。