プラネタリー・バウンダリー
 プラネタリー・バウンダリーという言葉を新聞で見つけた。「地球の限界」と呼ばれるそうな。地球温暖化や異常気象の頻発を受けてようやく世界の科学者たちが警鐘を発した。2009年のことである。本来「地球の限界」は誰の目にも見えていたのでは? 石炭を燃やし尽くし、石油まもなく枯渇する。天然ガスやシェールガスにしても無尽蔵にあるわけでないことも知っている。その他の地球の貴重な資源だって何の制限も受けずに金儲けのために取り尽くしてきた。現在に生きている私たちはそのおかげで豊かな暮らしができるのだ。火力発電で大量の化石燃料を消費している日本としては特に考えなければならない問題だ。でも、「後のことは知りゃしない」というのが現状だ。
 今ごろ「限界」と言われても、すべての資源は何億年というスパンで宇宙のの営みによって形作られたものだ。それならと、海底や他の星に資源を求めようとしている。宇宙競争が先進国の間で激化してきた。最近は人類が生存可能な星を見つけるのに必死である。自分たちが地球を破壊し住めなくしておいて、さっさと他の星に移住して生き延びようというつもりらしい。
 日本で開かれたプラネタリー・バウンダリーの集会についての新聞報道を読んだ。参加した一人の中学生が「自分が90歳になる21世紀末の環境は?」と質問をした。ドイツの科学者ロックストロームさんの答えは、「最悪、かなりの確率で灼熱の地球が現れる。だが避けられる。今後10年間で温度の上昇を平坦化するために、今決断しなければならない」だった。そうだろうか? スエーデンのグレタさんの叫びと漱石の言葉「真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に捲く種はやがて汝の収むべき未来となって現るべし」が思い出される。