世界には傷付いて今も泣いている人がどれだけいるんだろう?僕はこれまで旧サイトや友達関係を含め、目に留まるそういった人々を可能な限り助けてきた。「助けた」ってのは驕りだろうか?一時期、そんなことに悩んでいたことがある。そんなことはさておき、今知りたいのは先ほど述べた人の数である。
世界には傷付いて今も泣いている人がどれだけいるんだろう?
今まで悩み相談を受けてきた子のほとんどが恋の悩みだった。僕は芝居や小細工を駆使して二人の仲を円満にしてきた。計算や知略を用いての計画ごとが好きなのだ。さきほどまで泣いていた子達の惑星の表面のような歪んだ顔が一変して太陽のように明るくなる。
僕の心から生まれた言葉がその子らを救った?
「よかったね。」そう言う僕の顔は相変わらず無表情だが、心はなんとも言えない穏やかな感じがしていた。
決まって皆「ありがとう」という言葉を口にして僕の前から姿を消していく。
「ありがとう」
ありふれた言葉だけど、それは自分自身が“頼りになった”という証でもある。
もっと聞きたい。
もしも世界中のそんな声が聞けたなら、僕の心はいったいどうなるんだろう?
前向きに考えてばかりも駄目だ。苦しみは大規模で考えれば考えるほど複雑で、僕自身手も足も出ないようなことばかりであろう。
でも、誰かが言ってた。
“君にどうしようも出来ない心の問題は、君の言葉が解決するのではない。君がその人を想う心が助けになるんだ”
昔言われた時はよく意味が分からなかったけど、今は・・・頭の中で「こういうことか!」と形にすることは出来ないにしろ、うやむやな雲や霧のようなつかみ所のないイメージとしてぼんやり作ることが出来る。
どうして、こんなに誰かのためを思えるか?って・・・自分の夢や幸せが一番難しいからかな。周りから言わせれば、僕が奥手なのがいけないのかもしれない、欲がないことが癇に障ってしまうかもしれない。それでも僕は、自分一人の幸せのために迷惑をかけたくない。信頼と魂を売った人がもしも悪魔だったとしたら?そんなことを考えたことがあるだろうか・・・僕は散々振り回されたあげく、信じる心をなくし、あまり笑えなくなり、「死ね」と言われて捨てられたことがある。それ以来、生気が他人よりない。
なんか難しいんだ、今の僕には。願いとか夢とか、そういうものがね。
そんな時は「誰かのために」って自分じゃない何かのことを一生懸命考えたくなる。
何度も何度もそう思ってきた。
自分一人だと過去が頭を巡って僕を無限に苦しめる!!
「「助ける」って都合のいい名目かもしれない。」そう思った。
「夢のために」じゃない、「理由」のために僕は生きたい。
もうこれ以上傷付きたくないから。「理由」のために生きることこそが“一番傷付かない生き方”なのかもしれない。
僕はだから・・・将来は「人を助ける仕事」がいい。得意分野を考えれば、言葉を紡ぐ者・・・かな・・・。
星星の数ほどいる人が放つ“笑顔”という光を、太陽風に見立てれば僕の足は前へと進められる。
「世界のために生きよう。」そう思えたんだ。
理由のために生きる誓いから、僕自身で新たなスクラップブックを作りました。
“The Ark of Love”というものです。興味があったら、見てください。


