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分不相応なベンチャー立上げは、失敗する?(その3)

分不相応なベンチャー立上げは、失敗する?(その2)

分不相応なベンチャー立上げは、失敗する?(その1)

 

 以前、私が弁理士になった理由についての記事で、

私は、2004年~2006年まで

京都のベンチャー企業である

「株式会社T.Labo(ティーラボ)」

に勤務したことがある、と述べました。

 

 T.Laboの社長は、もともとは

「株式会社T.Electronics(ティーエレクトロニクス)」

の部長職の出身であり、T.Electronicsを早期退職してから、

2003年にT.Laboを設立したようでした。

 私がT.Laboに勤務していたころ、

T.Laboのエンジニアは、ほとんど全員がT.Electronicsに派遣されていました。

T.Electronicsは、創業当時の社名にちなんだ仮名です。

 

 T.Laboは、当初、技術者の派遣をしながら、ゆくゆくは自社で商品開発ができるようになることを目論んでいましたが、最終的には、技術者の派遣や受託開発に注力するようになりました。

 そのようなこともあって、2006年3月頃に、

5人の退職者によって「株式会社E」が立ち上げられましたが、株式会社Eは残念な結果になってしまいました。

 その一方で、2007年に、

「株式会社T.System(ティーシステム)」が、

野山

という退職者によって立ち上げられ、現在では順調に進んでいっているようです。

 

 

 株式会社Eを立上げた5人と、T.Systemを立上げた野山との差は、一体、何だったのかと言いますと、

野山に、以下のような特徴があったからだと、考えています。

 

野山T.Laboに勤務していたころ、

・派遣先の正社員よりも優れた実績を上げていた

T.Laboに対して、不義理な行為をしようとしなかった

 

これまでは、野山

・派遣先の正社員よりも優れた実績を上げていた

ことについて、具体的に述べました。

 

今回は、野山

・T.Laboに対して、不義理な行為をしようとしなかった

ことについて、より具体的に述べていきたいと思います。

 

2005年6月ごろ~2006年1月ごろまで、

T.Laboのエンジニアだけでメールをやり取りするような、

メーリングリストがありました。

 

そのメーリングリストには、

近い将来に株式会社Eを立上げることになる

海下(カイシタ)

古東(コトウ)

外東(ソトヒガシ)

上山(コウヤマ)

大東(オオヒガシ)

の5人が、参加していました。いずれも仮名です。

また、そのメーリングリストには、

野山(仮名)、米田、その他のT.Laboエンジニアが参加していました。

 

T.LaboのT社長は、そのメーリングリストには参加していませんでした。むしろ、そのようなメーリングリストがあることをT社長には見つからないようにと、釘がさされていました。

 

そのメーリングリストは、最初は、古東外東、その他の数人の古参エンジニアによって発足され、

これから自社開発をしていけるためにはどうすればいいか、や

これから会社を良くしていくためにはどうすればいいか、等について話し合うために、発足されたものでした。

 

 そのようなメーリングリストにおいて、

野山が、以下のような(不作為の)行為をしたから、

T.Systemというベンチャー企業を立上げても、順調に進んでいっているのだと考えられます。

 

 野山は、そのようなメーリングリストにおいて、

T.Laboの、事実無根の悪口を、言いませんでした。

T.Laboの、事実無根の悪評を、言いませんでした。

T.LaboのT社長の、事実無根の悪口を言いませんでした。

T.LaboのT社長の、事実無根の悪評を言いませんでした。

事実無根T.Laboの悪評を何度も何度も主張して、他のT.Laboエンジニアを煽ろうとは、しませんでした。

事実無根T.Laboの悪評を、鵜呑みにしようとは、しませんでした。

事実無根T.Laboの悪評を鵜呑みにして、他のT.Laboエンジニアに対して、横柄な物言いをしようとは、しませんでした。

事実無根T.Laboの悪評を信じきって急に白熱しだして、他のT.Laboエンジニアを指して「会社に興味のない人間」、「まったく発言しようとしない人間」と言うような、他人を侮蔑するような物言いをするようなことは、しませんでした。

 

 また、そのようなメーリングリストに関連して、

野山が、以下のような(不作為の)行為をしていたから、

T.Systemというベンチャー企業を立上げても順調に進んでいっているのだと考えられます。

 

野山は、

・仕事でたいした実績をあげられないままで、「自社開発をさせろ」と半ばケンカ腰の態度で社長に直談判しようとは、しませんでした。

事実無根T.Laboの悪評を信じきって、その悪評について、横柄な態度で直接社長に問い正すようなことは、しませんでした。

 

 

 野山が、以上のような(不作為の)行為をしていたから、

T.Systemというベンチャー企業を立上げても、順調に進んでいっているのだと考えられます。

 

 野山が、そのような(不作為の)行為をしていたことが、

株式会社Eを立上げた海下古東外東上山大東の5人と、

T.Systemを立上げた野山との差、となっています。

 

 

 そのようなメーリングリストから、最初に、自ら外れたのは、

野山でした。

皆さんと私とでは考えが合わないと思えるので、私は、辞退します。

 皆さんのことは、応援しています。

 それに、T社長のことも、応援しています。

と最後に言い残して、野山はそのメーリングリストから自ら外れました。

 

 そして、二番目にそのメーリングリストから外れたのが、

私、米田でした。

正直、あまり気分が良いものではなかったのです。

確かに、

ベンチャー企業で自社開発がしたい

と想うのは、崇高な夢であり、そのような夢を抱くことは、素晴らしいことだと思います。

しかし、

常日頃から、社長や他の従業員から尊敬されるほどの、著しい仕事の実績を上げられなければ、そのような想いは会社に主張するべきではない、という考えが私にはありました。

今の我々の仕事の実績で『自社開発させてください』って会社に偉そうに主張しようとするんは、まだ早いんちゃうの?

という不快な気分は、そのメーリングリスト内でのメールを眺めてみて、ありました。

 

仕事の実績も重要でありますし、何よりも重視されるのは、

人間的側面

なのです。

 

私も

統計学や数学の理論を駆使した技術を、"自社"で開発し、事業化したい。

という想いがありました。

しかし、

メーリングリストでこんなことを言い合ってるようでは、自社開発なんてこの人たちには絶対に無理だし、

 私の場合は、なおさら無理でしょう・・・・・・。

と考えられたのです。

 結局、私は、

"自分自身"が、ベンチャー企業で自社開発をする

という夢を、諦めてしまったのです。

 

私は、そのメーリングリストにおいて、最後に次のようなことを言い残しました。

私は、T.Laboで、自分自身が自社開発するのを諦めて、その代わりに別の目標を見つけて、今はそれに向けて行動しています。

 それに、

 あなたがたがT.Laboや社長の悪評をどんなに主張したとしても、それらのことが正しいかどうかはわかりませんし、鵜呑みにするつもりもありません。

 私は、自分の目で見て、自分の耳で聞いたことだけを、信じたいと思います。

 事実かどうか自分で確認して、もし本当であれば、そのときに自分なりに納得すればいいだけの話です。

 

というような趣旨のことを言い残して、私は、そのメーリングリストから外れました。

それが、そのメーリングリストでの、最初で最後の米田の投稿でした。

 

 

私は、T.Laboの社長に対して、少なからず、恩を感じていたのです。

 

今の我々が「自社開発をさせてくれ」と会社に偉そうに要求するのは、まだまだ分不相応だと考えて不快ではありましたし、他にも、

事実無根T.Laboの悪評や、事実無根のT社長の悪評がメーリングリストに流れるたびに、不快な思いをしていました。

そして、事実かどうかまったく確認もせずに、そんな事実無根の悪評を信じきって急に白熱しだして、他のT.Laboエンジニアを指して「会社に興味のない人間」「まったく発言しようとしない人間」というような、人を侮蔑するような物言いをする者が現れたときには、もう、怒り心頭になっていました。

 

 

私は、T.Laboの社長に対して、少なからず、恩を感じていたのです。

 

私が弁理士になった理由

でも記載した通り、

私は、大学生であったころは、

楽しい仕事がしたい

という想いで、研究者になることを志していました。

しかし、大学院のドクターコースへの進学を、断念せざるをえないことがありました。

ドクターコース進学を断念して、しばらくの間は、

何のために仕事すんの?

と思うことが何度かあり、

そう思いながら、無気力なままで人と接することもあって、他人に不快な思いをさせることが、多数ありました。

 

大学院のマスターコースを卒業して、大阪のシステム開発会社に入社しても、そのように思うことがありました。

それでも、私は、日々の仕事をこなしながら、

研究はできなくても、統計学や数学に関する研究開発がしたい。

と、主張してはいました。

 

ですが、

ここは大学じゃない。

数学ができるからいうて、それが仕事の何の役に立つねん。

会社というのは、金を稼がなあかんねん。

 (お前のやりたい仕事というのは、金にならへんやろ。)

と言われることもありましたし、

とあるプロジェクトの打合せで、

米田さんがやりたいと思っている仕事は、

  関東にはありますけど、

  関西には、あまりないですよ。

と、はっきりと言われたこともありました。

 

 

いや、米田さんがやりたいと思ってる仕事は、

 関西の京阪奈地区にはたくさんありますよ。

 

と教えていただいたのが、T.Laboの社長でした。T.Laboの面接のときでした。

※京阪奈地区とは、京都、大阪、及び奈良の県境のあたりの地区(京田辺市、木津川市、精華町、枚方市、四条畷市、生駒市、奈良市など)を指します。

 

面接時に、米田の修士論文をご覧になりながら、

(統計学や数学に関連する、)

 米田さんにピッタリのプロジェクトがあるんですよ。

と言って、

京阪奈地区にある、T.Electronics社の研究所でのプロジェクトを、紹介していただいたのです。

 

そのプロジェクトで、

統計学や数学に関する研究開発をさせていただいて、

発明者としての特許出願も、させていただきました。

 

研究所内において、ダメ出しをされたり、さりげなく怒られたり、T.Electronicsの従業員の方と険悪な雰囲気になることはあったとしても、そういうのも全部ひっくるめて、

社会人になって初めて、

 

楽しい仕事

 

をすることが、できたのです。

 

大学院のドクターコース進学を断念したことや、前職でのこともあって、

誇りと自信を完全に失くしてしまっていたのを、

T.Laboの社長は、悟っていたと思います。

 

仕事での実績を認めていただいて、

 

誇りと自信を、持ってください。

 

と言っていただいたのも、それを悟っていたからだと思います。

私は、社長からのその言葉を、今でも忘れていません。

 

かつて失われた

誇りと自信

を、社会人になって初めて、取り戻せました。

 

社長の計らいのおかげで、

 

別に、大学に残れなくても、

 民間企業ででも楽しい仕事はできる。

 いや、多分こっちのほうが楽しいのかも・・・・・・

 

と、考えるようにもなりました。

 

私は、T.Laboの社長に対して、少なからず、恩を感じていたのです。

 

だから、私は、そのようなメーリングリストは不快でありましたし、

自ら外れようと思って、そのようなメーリングリストから、外れたわけでもありました。

 

最後は脱線してしまいましたが、

 

以上のように、

野山が、上記したような(不作為の)行為をしたから、

T.Systemというベンチャー企業を立上げても、順調に進んでいっているのだと、考えられます。

野山が、上記したような(不作為の)行為をしたことが、

株式会社Eを立上げた海下古東外東上山、及び大東の5人と、

T.Systemを立上げた野山との差、となっています。

 

技術者としても、野山は、尊敬に値するエンジニアでありましたし、

異様な雰囲気に便乗することなく、

自らの信念を貫こうとした姿勢も、人間的側面において、尊敬に値する行動であったと、考えています。

 

ベンチャーを立上げて存続させることは、

   T.Electronicsの正社員になることよりも、

 はるかに難しい

のです。

 

そんな野山だからこそ、

途中で諦めることなく、

ベンチャーを存続させていけるのだと、思います。

 

エンジニアというのは、

 技術スキルさえ向上させれば成功できる、というものではない

 

そのことを、上記のような出来事から、教えてもらったような気がします。

 

続きは、また後日に述べたいと思います。

 

2004年12月のある日、

T.Laboに入社して1月ほどが経過したころの写真です。

 

本日も、最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。