今日は、熊谷市 市長公室 危機管理監兼危機管理室長
松岡 八起様 ようこそいらっしゃいました。
熊谷東ロータリークラブの卓話お願いしましたところ、心快
くお引き受け下さいましたこと、心より感謝申し上げます。
災害は熊谷でも起きるかも知れない。卓話宜しくお願い致し
ます。
皆さんこんにちは、熊谷星川通りに大変なことが5~ 6 年
前から、起き始めています。毎週土曜日・日曜日になります
と熊谷祇園祭りと間違える位の、人だかりが続いています。
最初の頃は、子供たちはおにぎり持参で電車で来ていると聞
きましたが、3 年前頃から高校生・大学生のような人が多く
なって、今では中年の男女が多くなり、見たかぎり年金族も
ちらほらと見え隠れするような感じでにぎわっています。個
人的には迷惑な部分も有りますが、人が集まるのは熊谷には
良いことかなとおもっていますが…。
前かがみで立っている人・歩きながらの人。迷惑なのは、歩
道に車を置きながら駐車場の入口でも構わずに置くこれは
×。車が通れなくなろうが構わずにポケモンに集中している
人が多く、これも× とみている。時々パトカーが参戦して
いますが、夏のハエと同じようです。
やっている人に聞きましたら、当社の前あたりから大量に発
生しているようです。熊谷星川通りの時代の移り変わりで
しょうか。それとも熊谷の歴史の移り変りところなのでしょ
うか。時代の移り変わりと言えば、テレビでは西郷どんが、
最終回を迎え江戸城明け渡しも、この当時の歴史の変化なの
か時代の移り変わりなのでしょうか。
時代の変化と言えば、東京の前身である江戸の創世記は秩父
氏の領土だったそうです。秩父の豪族・秩父氏が江戸の開発
を進めたのは九百年前。平安末期の武蔵野国で最大勢力を
誇った中世武家であった秩父氏一族は秩父を拠点とし、徐々
に江戸への勢力を伸ばしていました。その秩父氏から誕生し
た氏族が「江戸氏」。江戸氏は江戸城が有る場所に本拠を構え、
江戸の統率や発展に尽力つくし、このように、秩父一族が武
蔵野国ひいては江戸で「政権を」握っていた期間は、徳川政
権の265年よりもゆうに長かったのです。と言う事実を確
認下さい。
時は三世紀~四世紀にかけて大和地方に巨大勢力で、東海か
ら関東地方を支配下に収め「国造り」によれば、東武蔵の国(現
在の埼玉全域)の勢力が南武蔵勢力を破り、勢力圏の埼玉地
域に大型の古墳群を築かれた時代ですが、東京地域には見あ
たらないと言っています。
鴻巣から行田にかけて、埼玉古墳群の中心に見られ、これか
ら武蔵の国造りが埼玉にだったそうです。当時東京は今の半
分以上は海だったそうで、大和の中で国政が行われ、国造り
は廃止され、1590 年江戸に徳川家康が入府して、1603 年
に将軍になったのちに、幕府体制を打ち立て関東経営の基盤
になった。
川越・岩槻・忍の三城を残しそれ以外は、取り壊した。さら
にこれらの地域以外は江戸幕府直轄の領地とされました。勇
壮活発な鎌倉武士を生んだ、武州一帯の住民も支配体制の重
圧によって保守色の濃い気質となって行きました。
-----平成30年11月07日(水) 最高気温 21.0℃