「ロ―タリーのこころを超えたか  我々を人間として向かい入れてくれたの」

 


1961 年、アート・ブレイキー「ジャズ・メッセンジャーズ」
日本の地を踏んだと同時に、日本中に「ジャズブーム」が巻
き起こりました。「ナイヤガラロール」と異名を取るドラム
連打を武器に、ジャズシーンを席巻した。大御所中の大御所
です。当時アメリカでもそれほどブームではなかった。
羽田空港には熱狂的なファンが多数、ブレイキーグループを
出迎えました。それだけでも彼らにしてみれば、「誰かVI
Pでも飛行機に乗っているのか」と言うほど仰天モノなのに、
全員が自分たちを迎えに来ていることを知ったとき、大泣き
をしたそうです。
熱狂ファンの一人が「ミスター・ブレイキー お願いが有ります」
ブレイキー:「なんだい?」
熱狂ファン:「僕と一緒に写真を撮ってくださいませんか?」 
ブレイキー:「は?本気か?」
熱狂ファン:「もちろんです、是非、是非お願いします。」
ブレイキー:「俺は黒人だぜ・・・そんな俺を同じ写真に写っ
ていいのか?」 
熱狂ファン:「そんな事知っていますよ 是非お願いします、
記念にしたいんです。」
ブレイキー:「俺は黒人だぜ。本当にいいのか?」   
ブレイキーは知らなかったんですね。日本には、黒人を差別

するという、低俗な習慣など、これっぽっちも無いと言うこ
とを。「肌が黒い」というだけで、蔑むような考えを持つも
のなど、この国にはひとりもいないということを、、、。
その時、ブレイキーは、初めて知ったんです。
この国の人達は、本当に自分たちの演奏を聴きたがっている。
この国の人達は、自分たちの演奏が好きで、心から自分たち
をリスペクトしてくれる。国籍も人種も全く違う日本人が自
分たちの音楽を賞讃してくれている。
当時のアート・ブレイキーと言ったらジャズシーンのスーパースターです。
そんなブレイキ―でも、アメリカ本国ではごく普通に差別を
されていた。そんな時、日本国民は素晴らしい音楽を日本に
まで運んでくれた。スーパースター、アート・ブレイキーに
心から感謝し、尊敬して普通に、態度で示したのです。
アート・ブレイキーは最後に「私は今まで世界を旅して来た
が、日本ほど私の心に強い印象を残してくれた国はない。世
界中でアフリカを除いて日本だけが我々を、人間として歓迎
してくれたことだ、人間として!。ヒューマンビーイングと
して」大の親日家になつたブレイキーは、その後、日本の女
性を妻に娶り、亡くなる間際まで何度も来日を来り返してい
たそうです。

 

 

 

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