「建国記念の日について」 

 

 2月11日は、建国記念の日です。ここ数年、皇室について議論が交わされています。生前退位や女性宮家など、今後の皇室のあり方と言うよりも、どの様に存続していくか大変深い意味合いを持って議論されている様です。

 さて、今上天皇は第125代目で、天皇は天照大御神の子孫と言われているのを、皆さんもご存知と思います。

 初代天皇が神武天皇と言われ、天皇の位についてこれから日本という国を作るぞと言ったのが、紀元前660年1月1日(旧暦)と日本書紀に記されています。明治時代にその日を記念して紀元節というものを作りました。当時、欧米の列強に肩を並べたく、例えばアメリカの独立記念日の様に、国としての生れた日があった方がさまになるのと、国民の気持ちを一つにまとめるために明治政府が利用したとも言われております。昔は旧暦の太陰暦でありましたが、太陽暦が使用されるようになり、旧暦の1月1日が新暦の2月11日になった訳です。戦前は、2月11日に紀元節でお祝いをしていましたが、戦後はGHQがそのような思想は宜しくないと言う事で廃止になりました。1950年代には「紀元節」復活の動きが高まり、国会で9回の議案提出が行われましたが廃案となります。そして戦後の復興が進み、経済的にも豊かになって来て、そろそろ国の誕生日を決めようという事で、佐藤栄作内閣のときに、紀元節を建国記念の日として定めた訳です。

 何故、建国記念日ではなく、建国記念日なのか。「の」の入った訳をご存知でっしょうか? それは、「歴史上に基づく建国された日とは関係なく、建国されたと言う事実を祝う日という解釈」の為なのです。何故なら、神武天皇が実在した証拠がなく、紀元前660年1月1日と言う日付も、後から決められたものなのです。

 では、実在した天皇は何代からかと言うと、26代の継体天皇(507~531)になります。26代以降は、万世一系の天皇である事はまがいの無い事実で、26代以降でも約1500年続いている世界でも類を見ない天皇であり皇室です。神武天皇からですと、約2700年にもなります。ですから、皇室の存続を議論するうえで、安易にこうしよう、ああしようとは言えない重要な問題と言えるのです。

 最後に、建国記念の日とわざわざ「の」を入れたのですから、歴史学的な事実にこだわらず、紀元前660年1月1日、現在の2月11日を神武天皇が建国した日と言う事で良しとするのが、日本の identity(アイデンティティ)なのかもしれません。

 

 

 

-----平成30年03月07日(水) 最高気温 9.3℃