自分さえよければいいっていうのと

まずは自分を満たすことっていうの

 

似て非なるもの。

 

自分さえよければいいっていうの

自分が満たされていないから起こる感情。

 

自分が満たされていれば 他者に対して

余計なネガティブな感情を抱かない。

 

妬み嫉み恨み。

それは 憧れや羨望とは なんか違う感情。

 

もし 重たいネガティブな感情を抱いてしまうとしたら

自分が満たされていないんだってことに気付ける。

 

だから もし そんな感情を持ってしまったとしても

自分を責めたり 落ち込んだりしなくてもいい。

 

感情はセンサー。

自分の現状に気付けるセンサー。

だから どんな感情も素晴らしい。

 

自分が心地良く満たされるために

活かされると良いね。

 

 

自己犠牲って言葉は嫌い。

自分を犠牲にして 何か してもらっても

ちっとも嬉しくない。

 

でも 他者から見て自己犠牲でも

当の本人からしたら 全然違うよってことある。

これってパッと見だけじゃ 

区別つきにくいことも多々ある。

 

与えてくれる人が

与えることによって満たされるのであれば

喜んで受け取りたい。

 

そういう時は遠慮しちゃいけない。

 

ついつい もらう時 遠慮しがちになっちゃう。

何だか悪いような気がして。。

私ごときに与えるために その人の持ち分が減ってしまうことに罪悪感を感じるから?

 

でも それは 逆に自分の持っている感情だ。

自分が 人に与えるとき 自分の取り分が減ってしまうと感じているから 人もそう思うに決まってる。って。

 

そんな風に 感じるときは 自分が満たされていないんだって 気付けるってことだよね。

 

有難し。

 

不思議に感じるかもしれないけれど

減らないんだよね。

減るのは一時物質の方で 歓びって感情は増えるんだもんね。

与える人は それを知ってるんだね。

また 喜びながら与えたものって 巡って自分のところにも還ってくるもんなんだよね。

不思議だね。

 

 

 

それでいうと

親になってから 子どもに対して 

自分ができることは 何でも してやりたいなって思うことが増えた。

 

私にとっては 親になったからこそ 理解できるようになった感情のひとつなのかもしれない。

 

子ども達が 満たされれれば 例え自分が ひもじくても 何でか 満たされた気持ちになる。

 

これは 自己犠牲ではないんじゃないかな。

だって 与える方が嬉しいもん。

 

でも それを見た子ども達が お母さんも 自分たちと同じでないと嫌だって言うことがある。

だから そういう時は 同じ風にする。

子ども達に罪悪感を抱かせたくない。

自分たちのせいでって思わせたくないから。。

 

お母さんにもあげるドキドキって言ってくれるから

ありがとうドキドキって受け取る。

 

子ども達も 母が嬉しい顔を見て 嬉しくなる。

 

それで みんなが笑顔ニコニコ

それが良いラブラブ

 

与える方も 受け取る方も 双方に歓びが通い合っている。

それが良いねグッド!ラブラブ

 

 

 

 

 

これは 備忘録です。

自分を 自分のインナーチャイルドを慰めるための文章なのです。

 

 

 

 

 

インナーチャイルドを癒す石キラキラローズクォーツさんブーケ1

ローズクォーツって 何だかんで 色々活躍する石なんですよねデレデレ

 

 

 

 

 

 

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