三陸道の整備工事。
 
自分の会社が下請けで入ったのは工事終盤の1ヶ月程度だった。それでも県外から来ている業者が多くいた。自分達も新潟から来た県外業者。確認しただけでも岩手や秋田などの隣県は勿論のこと、北海道、山形、埼玉、などから来ていた(九州からもいたらしい)。当然、工事の進捗によって業者は入れ替わるし、自分ら担当現場の周囲でも別工事がいくつも進められていた。
 
 
そう考えると、災害復旧やそれに関連する工事が始まってから、これまでどれだけの県外業者が被災地に入り、彼らの宿泊費や食費等で、ここにいくらのお金が落ちたんだろうというのが最初に考えたこと。
 
 
県外業者は当然どこかに泊まって現場に出る。自分たちは地元建設会社が災害復旧宿舎として建てた飯場に寝泊まりをしていたし、ビジネスホテルに泊まったり、アパートを短期契約で借りたり、色々な方法で寝床を確保する。
 
食事の面でも飯場やホテルで提供してもらったり、昼飯はコンビニで買ったりする。お昼時、現場近くのコンビニには県外ナンバーの工事車両が所狭しと駐車場に並び、レジには長蛇の列。そんな光景が毎日続いていた。
 
三陸道の整備工事に限らず、災害復旧やそれに関連する工事は急ピッチで進んでいる印象だった。ここで一つ思うのは、県外業者が多く入ってきてる今だからそれなりのお金の動きがあるのでは。
 
震災を理由に遠方へ引っ越していった人も多くいるし、それによる人口減少もある、それにともなう高齢化とかも。その中で、災害復旧やそれに関連する工事で至る所に入ってくる県外業者はきっと貴重な存在だと思う。
 
こんな急ピッチで進めなくても、、、もっとゆっくりやればいいのに、、、なんて声を現場の業者さんの会話の中でも聞いたけど、こういう面での考えでもあったのかなと。でもいずれ工事は一段落を迎え、県外業者が去っていく時は来る。その時に、今ほどの賑わいや潤いを保っていられるか。そこが勝負なのかも。
 
 
 
ちなみに地元の建設会社についても、災害復旧工事が終盤を迎えるにあたり、次の記事のような状況が待っているよう

<震災8年>被災地の建設業者 復興需要反動減へ地固め(河北新報)  https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201903/20190313_12003.html

 
建設会社に就職したことで、震災についてこういう視点でもみるようになったけど、厳しい時がくるんだね…。
 
 
 
※具体的なデータがあるわけでもなく、調べたわけでもなく、自分が現地にいって感じたこと、考えたことです。何か関連するデータや資料がありましたらコメントにて教えて下さい。
 
まとまりがないけど、 三陸道の整備工事で気仙沼・南三陸町に行ってきた話 はおしまいです。