ーーー 今日は 2013年4月19日 ーーー
 




 
書けるうちに

私の生きた証になる何かを

文章ででも残したくて伝えたくて



“家族性大腸ポリポーシス患者”



と確定した日からの

「私=キラキラ」の心境や状況等を

一気に書きたいと思う
 



 


なぜなら来週25日(木)に手術する
 



 


怖くて
すごくすごく怖い










ーーー「キラキラ」という名前の意味ーーー
 
 



 
キラキラした物が大スキ





何と言っても何歳になっても

キラキラしていたい
 




女性に生まれた以上

いつまでもキラキラと輝いていたい
 




そこから自分で「キラキラ」と決めた
 






 

 
 






初めて大腸内視鏡検査をしたのは

4年前の2009年5月だった
 




 

大腸内視鏡検査を受けた理由
 
 



 
そう、、、



“あの”タイミングで検査をしたから

本当に「遺伝」していた

遺伝子を受け継いでいた
この事実が確定した
 



 
というのは





私の2つ年上の親戚のお姉ちゃんが

乳がんで2009年4月に亡くなった
 




31歳の若さで
一歳にならない子供を残して
 




乳がん発覚から1年も、たたない間に
 
 


 
それで私も「乳がん検査」を受けた
 








 
と・こ・ろ・が
 (一番聞きたくなかった言葉を耳にした)









「乳がんは問題ないです

   だだ血便が出ているので

 これは大腸に関係があるかもしれない

   内視鏡検査で上手な先生がいるから

   紹介状を書くから

 早めに検査を受けて下さい」
 








 
と、先生に言われた時に

今までに体験した事のないくらい
背中から全身に鳥肌が立ち
物凄い胸騒ぎがした
 
 







 
「 大腸 」








この言葉がいつまでも響き渡る

 




 
  
 


(大腸.....大腸...大腸..大腸大腸大腸大腸。。。)
 
 
 






 
なぜここまでも敏感なのか?




 




私の父は既に他界しているけど

父の病名は





「家族性大腸ポリポーシス」





そう…
そうなのだ





私は父と同じ家族性大腸ポリポーシス





50%の確率で遺伝をする





この二分の一の確率を
見事に引き抜いて
この世に生まれてきたのだ









 
 父の病状は
 





 
・1000個以上の大腸ポリープがあり
     大腸全摘出

・デスモイド腫瘍

・3回の開腹手術(最後の手術はインオペ)

・小腸に穴があく

・数えきれない程の回数の腸閉塞

・胃に穴をあける

・24時間点滴

・デスモイド腫瘍の成長
   (胃から下の全臓器がデスモイド腫瘍により
    機能しなくなる)



    数えきれない程の入退院を繰り返し
    10年間の闘病生活を送ったが


     助からず死を迎えた
 








 
本当は私は、わかってた
わかってたんだ
 



 
《 自分が、きっと遺伝している 》





ということ
 



 
だけど口に出していう言葉と
心の中の想いは真逆だった
 
 




 
口では

「ナンダカンダで大丈夫な気がする
   貧血とかないし
   うんちも柔らかくないし
   下痢なんてないしヨユーだよ」
 
 


 
心の中は

「もしも遺伝してたら・・・
 どうしよう、どうしよう
    お父さんと同じ道を辿る
 やだ、やだ、やだ
絶対にやだ
    死にたくない」
 
 







 

お母さんの悲しむ顔が見たくない

心配させたくない
 
弱い自分を見せたくない
 









言葉に出してしまったら
 現実になってしまうかもしれない
 








そう思った









 
25歳までにはと先延ばし
30歳までにはと理由をつけて
検査する事から逃げていた





必ず大腸内視鏡検査を

しないといけないんだと







 


《 わかってたんだ》










何年も前から

ずっと頭の片隅で考えてはいた





父の苦しむ姿を目の当たりにしてる時でさえ

『検査をしないといけないんだ』

逃れられない現実が近づいている事も





けど一歩踏み出すことができなかった
 
 頭では、わかっていたんだ




 


この家系に生まれた以上





遺伝しているのか?
遺伝していないのか?





白黒はっきりつける為には
必ず大腸内視鏡検査をしないといけない
 
 




 


だけど実際行動に移す事はできなかった



「できなかった」

ではなく

「したくなかった」
 








 
そんな私が検査を受けるキッカケが

親戚のお姉ちゃんの死がキッカケで

“検査をしよう”と

躊躇いもなく受けた 


 
 






そして、いざ初めての大腸内視鏡検査
 
  




 
痛み止めの薬が効いて眠ってしまい

目が覚めたらベッドだった
 


 


 
着替えて診察結果待ちをする為に

待合室へ行くと

そこには、お母さんが座っていた










お母さんの目が…

涙目になっていた






「 キラキラちゃん …… 」






それ以上お母さんは言葉を口にする事はなく







お母さんに

お母さんが涙目になっている理由を

聞くまでもなく










ーーー 結果が良くない事を察知した ーーー










(恐れていた事が現実になる)









ーーー 診察室へ呼ばれた

(扉を開ける手が震えた)








先生に呼ばれ大腸内視鏡検査での
大腸の写真を見せられ絶句した
 
 







 
なにこれ・・・
ポツポツ…
ポリープがいっぱいある
 


 




 
そして先生から、、、言われた
 

 






 

「これは家族性大腸ポリポーシスです」
 
 
 








聞きたくなかった言葉
恐れていた事が現実になった
悪夢が現実となった










「家族性大腸ポリポーシスです」

と大腸の写真を見せられている間

先生の話が全く耳に入ってこない









(息を吸う事さえ忘れてしまう程)









頭の中で心の中で
自問自答する










今が現実なのか?
夢なのか?










それさえ、わからない











これは一体なに?? 
  これって、お父さんと同じ?
  これは本当に私の大腸なの?
 
 





 


何も考えられない

わけがわからない


完全にパニック





(心臓が皮膚を突き破って
飛び出そうなくらいバクバクした)









放心状態の私に

先生が話し続ける
 





 



いいですか?落ち着いてよく聞いてね

    これは今日検査をしてわかった事です

    驚いたと思うけれど
今来てくれて、よかった

    これ以上進んでいたら
間に合わなかった
 

 



 



言葉が

頭に
耳に

入っていかない



 心が追いつかない
 心が追いついていけない




 




(もう…どうにでもなれ)


(もう…だめじゃん)





 


 













《もう助からないよ》
 






  ポリープが、いっぱいある
  ポリープが、すごいいっぱいある







  遺伝してたんだ


  私、、、遺伝してたんだ
  やっぱり遺伝してたんだ


  死ぬじゃん
 
 








 
涙が止まらない

息を吸うのも苦しい

泣いても、どうにもならない
 
 







 
検査をする数時間前までは笑っていたのに
検査後の私の顔からは笑顔が消えた
 
 







 
何かを話そうとすると涙が止まらない










言葉にしようとしても
話すことができなかった
 





 



今まで検査をしないといけないと
心のどこかで思っていたけど










きっと私は





《 大丈夫だ!! 》





確信もない根拠もない

それでも強く強く願い
そう想い願っていた





自分にずっと言い聞かせてきていたから



現実を見て
現実を知り

 

心の奥の奥の不安が
一気に崩れていった
 
 








不安が現実になってしまったこの事実を

恐れていたことが現実になった今を

受け入れる事が、できなかった
 
 








受け止める事はできても
受け入れる事ができない
 
 
 
 


 





そして
 


 
ここから強気な冷淡な私が出来上がった