イタリアを始めヨーロッパでは教会の鐘を聞くのが生活習慣になっている。
それはメサの始まりの音だったり、正午を知らせる音だったり、またイタリア好きだったヘミングウェイの小説「誰が為に鐘は鳴る」の意味にもあるように人の死を告げる為に鳴る悲しい音もある。

最近娘と見ている「フランダースの犬」でもおじいさんが亡くなった際に主人公のネロが自ら教会の鐘を鳴らす場面を見た。アルプスの少女ハイジもそうだが、ヨーロッパを舞台にした昔の日本アニメの研究深さと教養高さには本当に感心する。

私が住んでいる村でも村民が亡くなった際教会の鐘が鳴り、葬儀屋がお通夜と葬式にあたる告知を掲示する。

昨日もこの鐘で誰かの死を告げたのだが、1ヶ月前程に家の修理中怪我をし、一時は危険な状態だったが最近は元気になりリハビリを始めた夫の知人の死だったのだ。

家族も彼の回復を喜んでいた矢先の突然の不幸、まだ60歳の若さだった。

クリスマス前の不幸、家族もさぞかし辛い思いをしている事だろう、胸が痛みます。

イタリアを始め世界ではクリスマス準備真っ只中で心躍る人が多いこの時期、彼の家族を始めクリスマスを祝えない人達も沢山いるのも現状だと思う。

今あるこの普通の幸せ、って当たり前ではない、健康で恵まれている今のこの環境に改めて感謝しながらクリスマスを迎えたいな、と考えさせられる鐘の音であった。