これまでにいくつもの課題がありました。
課題というのは、つまりやらなきゃいけないものです。
それは遠く、保育園までさかのぼります。でも、記憶にないので小学校まで進みます。

小学校の夏休みは、夏休みと言っておきつつ自宅で勉強をさせます。
勉強させるなら学校でやらせればいいのに、なまじっか自主性を育てようとか思っているのでしょうか。
当然僕は宿題なんてやらずに遊びまわっていました。そして当然の帰結として、残り1週間くらいで新聞を頼りに絵日記を書くわけなのですが、夏休みのはじめの方の新聞なんか捨てられてしまっているので、雨の日なのにセミを捕まえに行きましたとか書いて先生にばれないかヒヤヒヤしながらの作業となります。
でも、先生も多分日記とか志村けんのだいじょぶだぁ見ながらペラペラめくるだけだと思うので、天気間違えたからって絶対にばれないと思うのですが、この期に及んで変な職人気質がわいてくる。何が何でも正確に天気を書きたくなってしまうのです。
そんなわけで、適当に終わらせればいいものを余計な時間を使って変なところの完成度をあげようとしてしまいます。

同じことは自由研究でも起きます。
どうせ理科の先生なんかファミコンやりながら、市販の自由研究本からぱくってないか確認してるだけだと思うのですが、なぜだか夏休み残り3日になって、壮大な研究をしたくなる。そんで結果をねつ造するはめになるのです。

今までの傾向として、僕は余計な所に気を使うあまりに大切な部分をおろそかにしてしまうようです。
なぜこんなことを思ったかと言えば、就活のせいなのですが、これはやばい。
気を使うところがたくさんある。その分僕が落ちうる落とし穴だらけなわけです。
自己分析に凝るあまりに哲学者になってしまうかもしれません。
企業研究に励むばかりに企業オタクになってしまうかもしれません。
礼儀作法に心奪われ小笠原流だかオギノ式だか忘れましたけど、そんなのの師範になってしまうかもしれません。

でもそれは目的である就職の失敗を意味します。
しかしながら、その過程をできる限り丹念にやることが就職の成功に結びつきます。
つまりたけし城のコロの上に乗っかって、いかに池に落ちるぎりぎりまで行けるかやるあれみたいな感じだと思います。
でもそれを頑張ったところで、こんなしゅうかつにまじになっちゃってどうするのとか言われちゃうのでしょうか。

就職って本当に今後の人生を変えてしまうものなのでしょうか。
まあ、いつだって言えることは「適当に頑張る」なんですけどもね。