カエル の子はやはりカエル なのか?こちらをタイトルにしたかったけど、早速始めます。 23:37Add Star

格差再生産のメカニズム。教育格差の問題は、階層格差再生産の元凶なのである。家庭の教育力、ストレートな言い方をすれば、家庭の教育費の負担力の差がさらなる格差を決定づけるという現在の社会において、「勉強していい大学に入れば、いい企業に入って、出世して、お金が稼げて、いい暮らしができる」という親から先生から子どもたちに勉強させるための、この魔法の言葉は幻想となってしまうのか。

フランスブルデュー という社会学者 が、ハビトゥス という概念を提唱した。ハビトゥス というのは、文化資本 と訳されることが多いが、文化の型のことだ。それは後天的に習得するものであり、本人の努力によって矯正することもできる。けれども変えるのは難しく、本人の考え方や行動様式に大きな影響を及ぼす。

ブルデュー は、階級間には単純に経済力の差だけでなく、文化資本 とでもいうべきものが存在しており、それを乗り越えるのは難しいとした。簡単にいってしまうのなら、家に本がいっぱいある家庭とまったくない家庭では、子どもが本を読むようになる確率は前者のほうがずっと高いということだ。あるいは、家にピアノ があって幼児期から聞き慣れている者とそうでない者とでは、音楽的素養に違いが出るだろう。勉強、言語活動、芸術、社交などにハビトュスは表れ、その人の行動を制約する。端的にいえば、「家庭環境」の格差といえる。

親子間では、そういった文化的なものにとどまらず、生き方のモデルまで受け継がれてゆく。大人のモデルを無意識に内在してしまうのだ。

カエル の子は必ずしもカエル として生まれてくるわけではない。だが、カエル の家庭に生まれ、そこで育てられることによって、カエル になっていくのだ。こうして階層の格差が再生産されていく。東大 生に共通する特徴は、身近に東大 を出ている知り合いがいることだそうだという。

だから、親が子どもに対して。「自分はまったく勉強をしなかったから、こんなに苦労している、だからあんたは勉強しなさい」と叫んでひっぱたいても、その成果は乏しいだろう。勉強という文化を身につけていない親は、むしろ勉強に対するアンチモデルとなってしまうのだ。

再チャレンジ、リベンジ、機会の平等、これらの言葉が死後にならない社会でありたいと思うし、どうしたら、格差固定化のない社会が形成できるのか考えていきたい。