スペイン風邪の流行時にマスクをつける日本の女性たち

 

 

新型コロナウイルスの院内感染が発生した和歌山県湯浅町の「有田病院」の正式名称は、「恩賜財団済生会 有田病院」といいます。「恩賜財団済生会」は明治天皇の勅語に基づいて設立された財団です。史上最悪のパンデミック(世界的大流行)と言われているスペイン風邪が起こった際、日本国内で懸命の救援活動を行いました。その済生会の病院で、新型コロナウイルスの院内感染が発生したのは、酷な巡り合わせです。

 

 

済生会は日本最大の社会福祉法人です。「済生」とは命を救うことを意味します。明治44年(1911)、明治天皇が「施薬救療以て済生の道を弘めむ」とする「済生勅語」発したことを受け、同年、生活困窮者の医療支援を目的に創立されました。大正から昭和にかけて、貧しい人に無料診療券を配って各地に設けた診療所で診察したり、スラム街を巡回して保健指導をしたりしました。

 

 

スペイン風邪については、内務省衛生局が大正11年(1922)に刊行した「流行性感冒」という詳細な報告書があり、東洋文庫から翻刻されていますが、そこに済生会の活動も描かれています。

 

 

「貧困にして治療を受くること能はざる患者に対する救済策に関しては府県に於て恩賜財団済生会の活動を見たるもの多く(中略)各受持巡査をして治療券を携行せしめ随時救療を要するものに交付する等の方法を講じたるあり」。

 

 

医療保険がなかった時代です。家族が恐ろしい病気にかかって医者を呼ぶお金のない時、治療券がどれほどありがたかったか、想像に難くありません。貧しい人にとって済生会は「小石川療養所」の「赤ひげ」でした。

 

 

■スペイン風邪の猛威

 

スペイン風邪では、世界の全人口18億人のうち1億人が死亡したと推計されています。日本では、大正7年(1918)秋から10年(1921)春まで3回流行し、当時の人口5719万人(大正6年末)に対して、2380万人が罹患し、38万8000人が死亡しました。最近の研究では、死者は48万人と推計するものもあります。

 

 

私の住む奈良県内でも、大正7年8月から同8年7月の間に、27万1968人が患者となり、3219人が死亡しました。実に罹患率は46.8%に及び、県民の2人に1人はスペイン風邪にかかったわけです。患者の致死率は1.18%でした。

 

 

上述の内務省報告「流行性感冒」は、世界中で猖獗を極めたスペイン風邪に対して、日本人がどう対処したのかが詳しく記されています。原因がわからず、五里霧中の中で奮闘した医師や看護師の姿、不安を抱えながらも互いに助け合って難局を乗り越えようとした市民の姿が浮かんできます。

 

 

■流行拡大

 

スペイン風邪が米国で発生した1918年春は第一世界大戦の最中でした。各国が戦争に気を取られ、足元で広がる感染症にかまっていられなかったため、被害は大きくなりました。同書では、患者の隔離や工場における換気の改善、群衆の禁止、交通機関の雑踏防止などが励行できていれば被害を減らすことができたのではないかと指摘しています。

 

 

日本で本格的な流行が始まったのは、西欧に遅れること3,4か月後の大正7年秋からでした。それに先立つ同年5月上旬、南洋から横須賀に寄港した軍艦において250人の患者が発生、次いで9月2日に北米より横浜に入港した船舶に多数の患者がいて、海外からの感染経路として疑われました。今回の新型コロナウイルスでも横浜に入港したクルーズ船で大量の感染者が出ましたが、スペイン風邪でも横浜の船が注目されていました。

 

 

日本での流行拡大は急激でした。都市から発し、放射状に周辺村落を襲いました。都市では学校児童の欠席や工場従業員の欠勤が、一両日のうちに数十、数百にのぼり、一般の注意をひくころには全市に広がっていたといいます。

 

 

新型コロナウイルスが拡大した中国では患者の急増に医療が追い付いていません。3000人の医療従事者が感染したとも言われていますが、スペイン風邪でも同様の事態が起きていました。

 

 

「流行に因る惨禍は更らに医師の不足によりて拡大せらるるに至れり(中略)医療を受くる能はずして空しく床上に呻吟するもの尠(すくな)からず、甚だしきに至りては医師も亦病の魔手に斃(たお)れ診療の途絶えたる地方あり又は山間の僻地にして医師の来診を受くるに術なく運命の儘(まま)に只恢復を祈るの外なき地方もありき」

 

 

患者の数が多すぎて、医師の診療を受けられない人が続出したのです。そうした人たちは、運命に己を委ねて祈るしかなかった。こうした事態に行政や済生会、赤十字などは、いまでいうDMATのようなものでしょう、医療チームを急遽編成して医師の足りない地域に派遣しました。看護師を臨時採用した自治体もあります。地域では衛生組合員が奔走し、一家全員が罹患した家族の面倒を見ました。

 

 スペイン風邪の啓発ポスター

 

 

■病原不明。

 

当時、スペイン風邪の病原ははっきりしませんでした。インフルエンザの原因自体がわかっていなかったのです。インフルエンザの病原がウイルスであることが証明されたのは1933年のことです。さらに、スペイン風邪の病原体が、H1N1亜型のウイルスであったことは1997年に判明しました。アラスカの凍土から発掘された遺体からウイルスの遺伝子が分離されたのです。

 

 

インフルエンザの病原として有力だったのは、「パイフェル氏菌」という細菌でした。細菌はウイルスよりずっと大きなもので、当時はさまざまな病気の原因を、見つけやすい細菌で説明する傾向がありました。野口英世が、ウイルスによって起こる黄熱病の原因を細菌と信じたのと同様です。スペイン風邪についても「パイフェル氏菌」が死亡者の肺から検出されることが多いことから病原説が広がったのです。しかし、死亡者から見つかることと、病原であることはイコールではありません。

 

 

北里研究所では「パイフェル氏菌」を病原と断定して、この細菌のみから成るワクチンを作製しました。大正7年末から8年春にかけて、同所員ら数百人の希望者にワクチン注射をしたところ、予防効果が認められたと判断して一般へ接種を行いました。不思議なことに、この北里研究所製ワクチンを注射された豊田紡績の女性従業員の患者発生率は「2分の1に減った」といいます。医学的効果を検証する際に求められる統計学的な厳密さを欠いていたのでしょう。

 

 

病原を誤解して製造されたワクチンに効果があるはずもありません。しかし、ワクチンには、パイフェル氏菌に肺炎双球菌を混ぜたものもあり、スペイン風邪では細菌による肺炎を合併して亡くなる人も多かったことから、一定の効果を発揮した可能性があります。

 

 

新型コロナウイルスは幸いなことに原因がはっきりしています。原因どころかゲノム配列までわかっています。中国政府は4月下旬にもワクチンの臨床試験を開始するとしています。また、治療薬としても、インフルエンザ薬の「アビガン」やエボラ出血熱薬「レムデシビル」などの効果が期待されています。「アビガン」は日本国内に200万人分が備蓄されています。

 

 

 

■予防

 

内務省がスペイン風邪に対してとった予防策は今日とあまり変わりません。①劇場、寄席、活動写真館などの入場者や、電車、乗合自動車などの乗客にマスクを装着させる②流行地においては多数の衆合を避けさせる③うがいと予防接種の奨励④予防と治療の効果をあげるため伝染病院、隔離病舎を利用する――などを基本方針としました。

 

 

大正10年1月6日付けの「流行性感冒の予防要綱」では、「対談の際はなるべく三四尺の間隔を保つこと」「演説会、講演会、説教等 流行時にはなるべく此の種の会合を見合はすこと」「学校内、学校所在地及其の近傍に於て患者発生の場合は状況に依り速に全校又は其の一部を閉鎖すること」などを求めています。

 

 

これほどの大流行だったのだから、さぞかし学校や工場の閉鎖は多かったのだろうと思いきや、東京では、大正7、8年の流行時、閉鎖した小学校・幼稚園は80校園にとどまり、閉鎖期間も1週間前後が多かったといいます。この間、工場の閉鎖は4か所だけでした。

 

 

マスクの有用性については、この時も議論があったようです。日本では、上記のように装着が推奨され、青年団などがせっせとマスクを作って地域で配布しました。サンフランシスコでは法令でマスク使用を定めましたが、人目につくところだけで着用する人が多く効果はなかったようです。米公衆衛生局は、食器、タオルなど他の侵入経路に対する注意を低下させるとしてマスク使用に懸念を示し、学者の間には「マスクに絶対的な価値はない」との見解もありました。

 

 

マスクを装着したシアトルの警察官

 

 

今日では、マスクは患者につけさせるのは有用だけれど、未感染者の予防効果は少ない、ということになっています。マスクの網目の大きさは5マイクロメートルほどで、ウイルスの大きさは0.1マイクロメートルほどですので、マスクで防御することはできません。ウイルスがマスクを通過するのはいともたやすく、大きな窓にゴルフボールを放り込むようなものです。ただ、マスクをしていると口や鼻の周りの湿度が高くなって、ウイルスが生存しにくくなる環境になる、つまり、口や鼻から入ってくるウイルスが減るという説もありますので、いまだ、マスク不要を政府が明言するまでいかず、盗難事件が起きるほどマスク需要は高まっているのです。

 

 

■2009年新型インフルとスペイン風邪

 

ここからは、スペイン風邪より1世紀ほど後の話です。スペイン風邪のウイルスは、1918年の大流行の後、北米の豚の体内で生きていました。それが鳥インフルエンザの遺伝子と交雑してヒトにうつるようになったのが2009年の新型インフルエンザです。このとき、WHOは、パンデミックを宣言し、警戒水準を最大級のフェーズ6に引き上げました。スペイン風邪ウイルスは90年たって再びパンデミックを起こしたわけです。

 

 

日本国内では、2009年5月、神戸で第一号患者が出ました。この時、国もメディアも大騒ぎしましたが、結局、毎年の季節性インフルエンザと同程度の被害しか出ませんでした。被害が少なかった理由は、スペイン風邪以来、このウイルスは豚の体内だけでなくヒトの体内でも変化しながら残っていたので、我々の多くは免疫をもっていたのです。今では、このスペイン風邪の子孫は、普通のインフルエンザとして流行を続けています。

 

■20XX年パンデミック

 

今回のコロナウイルスの感染拡大は、本当の危機ではありません。2009年インフルエンザと同様、毒性はそれほど高くなく、症状は呼吸器にとどまっています。さらに恐ろしいのは、H5N1型鳥インフルエンザであって、これがヒトからヒトへと感染するようになると、ウイルスは血液を通じて肝臓、腎臓、脳にも広がり、多臓器不全を起こします。我々がイメージする「感冒」とはまったく異なる次元の病気です。国立感染症研究所の試算では、東京で1人の患者が発生した場合、2週間で感染者は全国35万人に及びます。致死率は5~15%と推定されており、日本国内では100万人以上が死亡するとみられています。そうなれば医療体制は崩壊し社会基盤は破綻しかねません。

 

 

2009年の新型肺炎以降、私たちはパンデミックの恐ろしさを忘れかけていました。新型コロナウイルスは、来るべき最悪のパンデミックに備えるための試練です。一人一人が何をなすべきか考える時なのでしょう。

 

 

感染症に対する日本の医療体制はけっして充実しているといえません。奈良県内でみると、感染症病床が5医療機関の24床しかなく、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に乗船していた5人を受け入れていますので、現時点で残りは19床です。県内で19人を超える感染者が出た場合は、県外に頼るか、一般病院に入院するしかありません。このところ、ウイルス感染を判定するPCR検査が国内で非常に少ないことが指摘されています。これなども、大量に検査して陽性者が多発した場合に対応できなくなるので、政府がコントロールしているのではないかとさえ勘繰ってしまいます。

 

 

こんな状況ですので、今は「感染しないことが社会貢献」です。手洗いを励行して不要不急な外出をしないように心がけています。通勤はしょうがないので、心細いながらマスクをしています。みなさまもどうかお体大切に。