奈良県橿原市の近鉄八木駅前にある市の分庁舎、ミグランスの1階に京都アニメーションの支援を呼びかける展示が行われています。橿原市など奈良県内には、京アニの「聖地」があるのです。

 

 

「境界の彼方」という作品で、いわゆるダークファンタジーです。「妖夢」と呼ばれる魔物と、「妖夢」退治をなりわいとする「異界士」との戦いを描きます。原作者は鳥居なごむ氏。第2回京都アニメーション大賞の小説部門の奨励賞受賞作で、2013年にテレビアニメが放映され、15年に劇場版が公開されました。流血場面があり、私のようなホラー嫌いのビビリは引いてしまいますが、若い人には人気はあるようで、国内外から「聖地巡礼」する人が絶えません。

 

 

ミグランスに展示されている「境界の彼方」の等身大パネル

 

 

■京アニの「魂入れ」

 

鳥居氏の原作では、地名は出てきません。どこが舞台なのか不明です。ライトノベルは、キャラクターイメージ優先なので土着性が乏しい。「境界の彼方」でも登場人物は標準語を話しています。関西か関東かもわからない。しかし、「大都市と異なる」「この地域に本拠地を構える弱小球団が」などのヒントが書かれています。奈良には球団がないので、奈良ではないことはあきらかですが、京アニはあえて舞台を奈良にもってきました。

 

 

京アニのロケハンの基準は「登場人物の世界観に合っている」こと。「境界の彼方」のストーリーに、奈良がふさわしいと考えられたのです。場所を設定するとスタッフを派遣して、各シーンにはまりそうな所を写真に撮っていきます。どこを切り取るかはスタッフの感性しだいです。

 

 

資料を集めた後は「絵師」たちの仕事です。統一されたトーンで風景を描いていく。土着性を欠いていた原作に、土地の「魂入れ(たまいれ)」を行うのです。フィクションにリアルが注入されると「聖地」が立ち上がります。作品に描かれた「聖地」は実際の場所と比べ物にならないくらいきれいです。ジモピーも気づきません。「これって、あそこの交差点なん?ほんまかいな」となる。

 

 

数々の作品を通じて、京アニは全国各地の風景に画力で生命を与えました。見慣れているために意識の後景となっていた場所の魅力を発見し、前景化しました。風景の蘇生は京アニの功績のひとつです。

 

 

■畝傍山南麓

 

「境界の彼方」に登場する橿原の「巡礼地」は、ミグランスに掲示されている「舞台探訪マップ」だけでも20か所に及び、大和三山の一つ、畝傍山の南側に広がっています。

 

 

 

畝傍山の周りには、神武陵など天皇陵に治定された陵墓が4か所あり、古代からの時間が積み重なった濃密な気配が漂っています。南側には橿原神宮や深田池があり、近鉄南大阪線を渡ったところに学校法人聖心学園が運営する学校群があります。奈良芸術短期大学、聖心学園中等学校、橿原学院、聖心幼稚園の4校園。校舎は藍色の壁面が特徴です。主人公たちが通っていた高校は聖心学園中等学校がモデル。橿原神宮駅から学校まで歩いたら通りそうなところが、自然な形で作品に登場します。北を見れば畝傍山が鎮座しています。

 

 

通学途上にあるのが久米町で、久米仙人が住んでいたとされる久米寺があります。久米仙人といえば、空を飛んでいて川で洗濯をしている女性のふくらはぎを見て墜落した伝説で有名ですね。町の風景はどこにでもあるものです。でも京アニにかかるとこうなります。左側が作品、右側が実物です。

 

 

久米町子供広場

 

久米河原町交差点

 

県道207号線T字路

 

 

風景が物語を吸収して膨らんでいる。京アニの「魂入れ」です。

 

 

橿原神宮駅は、橿原神宮の玄関口だけあって、大きな和風屋根をもった駅舎の外観は目を引くのですが、構内はエキナカが多いことを除くと普通です。ホームはなんの変哲もない。「境界の彼方」では、主人公たちが通う高校の最寄り駅という設定です。

 

 

橿原神宮駅ホーム

 

 

橿原神宮南西の深田池は、奈良時代に造られたとされています。畝傍山の水を集め灌漑用水として使われています。木製デッキや散策道が整備されていて、近所の人の憩いの場所になっています。アオサギやカワセミ、マガモといった野鳥の楽園でもあります。

 

深田池


 

橿原以外の奈良北部でもロケハンが行われています。奈良ホテルは、「異界士」一族の屋敷になっています。家が広すぎて、兄妹が2週間も顔を合せなかったりします。旧財閥系の一族でも、奈良ホテルほどの家には住んでいないでしょう。ちょっと、やりすぎ感が。設計者の辰野金吾氏もさぞ驚きでしょう。

 

奈良ホテル

 

 

 

■聖地とは

 

「境界の彼方」によって地域の「萌えおこし」が起きています。橿原では、作品好きな人たちが集まって「橿原デジタルコンテンツ推進委員会」を組織し、グッズ販売やスタンプラリー、オフ会などを実施してきました。キャラクターたちが憑依した場所は若者をひきつけてきました。橿原神宮には巡礼を記念すする絵馬がかけられています。

 

 

オフ会の会場となっているのは、神宮駅近くの「喫茶サンド」です。ここは作品にも描かれていて、実に47すべての都道府県から巡礼者が訪れています。昭和テイストのたいへん落ち着く喫茶店で、私のイメージの「学生街の喫茶店」です。マンガがあれば3時間はいれるでしょう。

 

 

人はなぜ「聖地」を巡礼するのでしょうか。宗教学者の鎌田東二氏は、「聖地感覚」の中で、日本の聖地巡りの原初形態として、万葉集などの題材となった場所、「歌枕」を挙げています。歌枕が場所の記憶の増幅装置となり観光名所となっていった。日本人は古代から「聖地巡礼」を好んだのです。私も若い頃は、太宰治の「津軽」を手に津軽半島を回ったことがありますので、「巡礼」する気持ちがわかります。振り返ると、悩みの多い時期で、太宰の心の軌跡につながって自分を見つめ直したいという気持ちがあったと思います。「境界の彼方」についても、物語と「結縁」し自分探しをする人が多いのではないでしょうか。

 

 

ミグランスにはノートが置かれていて、訪れた人の京アニ復活を祈る言葉が15ページにわたって書き込まれています。「京アニのおかげで巡礼するようになり、日本各地のすばらしさを知りました」。作品を超えた京アニの贈り物です。