かつて「ねるとん紅鯨団」という集団お見合い番組がありました。バブル時代に青春を過ごした方はご存じかと思います。フジテレビ系列で1987年から1994年まで放送されていました。ディレクターはテリー伊藤、司会はとんねるずでした。

 

自己紹介やフリータイムの後に男性からの告白タイムがありました。男性が手を差し出します。OKだったら女性は「よろしくお願いします」と手を取ります。いきなりの交際はためらわれるけどお近づきに、という意味で「友達から」というのもありました。嫌だったら「ごめんなさい」。断られた男たちは走り去りました。

 

フリータイムでツーショットになっていた二人が「ごめんなさい」となったり、会話が弾まなかった二人がカップルになったりと、予想を裏切る展開が面白かったのです。

 

 

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奈良女子大学

 

 

奈良で予想外のペアが誕生しそうです。70年前に「ごめんなさい」だったのに、今は「お友達から」の関係です。それは奈良女子大学と奈良教育大学の統合話。戦後の学制改革では破談になりました。しかし一転、2022年の「1法人2大学」に向けて協議が進んでいます。

 

 

戦後、奈良女子高等師範学校(現・奈良女子大学)と奈良師範大学(現・奈良教育大学)を統合すべきかどうか、奈良では大きな論議を呼びました。

 

 

奈良女子高等師範学校は1908年に設置されました。校則第一条では、教育の目的として、女子師範学校、師範女子部、高等女学校の「教員たるべき者を養成」することを挙げていました。師範学校の教員ということですから、「先生の先生」らを養成する学校だったのです。一方の奈良師範学校は女高師より歴史は古く、前身の奈良県尋常師範学校は1888年に設立され、奈良の尋常小学校の教員を育成してきました。

 

 

戦後、GHQCIE(民間情報教育局)は「一県一大学」政策を進めました。奈良では女子高等師範学校(女高師)と師範学校、青年師範学校の三つの国立大学の統合案が出ました。1948年、師範学校生は、「男女就学の機会均等」などを理由に、一大学案に賛成して、女高師、師範、青年師範に県立医大を加えた奈良総合大学を提唱し署名活動を行いました。青年師範もこれに追随しました。 

 

 

奈良教育大学

 

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しかし、女高師は猛烈に反発します。

 

 

もともと女高師には戦前から女子師範大学への昇格運動がありました。東京の女高師は学制改革によって単独でお茶の水女子大になることになり、なんで奈良は認められないのかと奈良女高師の教員は不満を募らせました。さらに先述のように「先生の先生」を育てる学校として、「レベル差のある師範との一体化は無理」と主張しました。統合すると学校の値打ちが下がると言わんばかりです。直球の主張ですね。

 

 

この気持ちは教員も生徒も同窓会も一緒で、単独昇格運動は熱を帯びました。

 

 

「CIEや文部省との折衝、議会や地方自治体当局への請願や協力の要請、資金募集など涙ぐましい努力の跡が、当時の記録を覆いつくしている。五月には一週間学校を休業とし生徒を帰省させるとともに教官も同道して運動を全国的に押しひろげ、ときに教育が犠牲にされる心配さえあった。とんぼ返りのような東京との往復に疲労して学校長が入院したこともある。」(奈良女子大学60年史)

 

 

入院するとは、まさに体を張った運動ですね。それにしても学生を休ませて故郷で運動させるというのは、やりすぎだと思います。それほど統合は嫌だったのですね。猛烈なプッシュにCIEは折れました。1949年、文学部、理家政学部を置いた奈良女子大学が発足しました。同年、師範学校も奈良学芸大学(後年、奈良教育大学へ改称)へ昇格しています。

 

 

こうした経緯で、奈良には共学の国立総合大学がありません。近隣の県には三重大学とか滋賀大学とか和歌山大学とかありますが、奈良にはないのです。奈良大学は比較的新しい大学で私立です。

 

 

 奈良女子大学の古写真

 

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奈良女子大学と奈良教育大学が「お友達路線」に舵を切ったのは、少子化の影響です。今後ますます児童が減り、先生の数も少なくてすむため、教育大学の単独での存続は難しくなってきていて、文科省も周辺大学との連携、統合策を探っています。

 

 

当面の両校の「お友達案」は、

①女子向け工学教育での連携

将来の工学部設置を見据え、女子対象の工学系共同教育課程を設ける。ものづくりを通じて世の中を変える女性を育成する。

②教員養成の効率化

1,2年生対象の教養教育の共同実施を目指す。来年度から新しい共通の科目「奈良と教育」をスタートさせる

――といったものです

 

 

工学部には女子が少ないですね。そこであえて「女子工学部」を設けるという着想は面白いと思います。女性ならではの視点でものづくりの新機軸を生み出してほしいと思います。

 

 

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最後に、両校の校風などについてひと言。

 

 

関西以外の方には奈良女はイメージしにくいと思いますので、代表的な卒業生を上げておきますと、やはりそれは、名曲「サイレント・イブ」を歌った辛島美登里さんでしょう。彼女のように、飾らず賢い女性が多いです。あまり目立ちたがらない。アナウンサーを量産しているお茶の水とは校風が違います。

 

 

一方、奈良教育大学は、志賀直哉も住んだ高畑にあって、とても環境のよいところです。以前は新薬師寺の境内でした。書道や文化遺産などの「伝統文化教育専攻」があるのが特徴でしょう。高校時代に書家を目指していた沢口靖子さんが受験を考えていたといううわさもあります。