奈良国立博物館を出ると小雨が降ってきた。あいにく、降水確率が10%だったので傘はもってこなかった。近鉄奈良駅に向かって急いだが、冷たい雨が本降りになってきて興福寺の東金堂に駆け込んだ。

 

 

東金堂内には二十尊以上の仏像がある。日によって気になる像が違う。この日は維摩居士像に心が惹かれた。維摩居士は、本尊薬師如来に向かって左脇に座している。たいへん偏屈そうな相である。

 
 

維摩居士坐像(国宝、鎌倉時代、88.1㎝)

http://www.kohfukuji.com

 

 

* * * * *

 

 

仏教彫刻の対象は、如来、菩薩、神、高僧など一般人とはかけはなれた存在なのだが、この維摩居士は普通の商人だ。妻も子もある。かなり特異な仏像である。

 

 

しかし、ただの偏屈商人ではない。釈迦の十大弟子や菩薩をやりこめる論客である。維摩経という仏典には、彼のエネルギッシュな弁論の様子が生き生きと描かれている。彼の仏法理解は釈迦の弟子たちをはるかにしのぐ。ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。痛快だ。

 

 

般若心経でおなじみの舎利子といえば、仏弟子のうちで最高の知者とされるが、「維摩経」ではさんざんいじられ、天女によって女性に変えられたりする。維摩には「法を聞きながら、食事のことが気になるとはどうしたことか!」と叱られた。聖者の立つ瀬がない。

 

 

維摩と問答した文殊菩薩は、彼のことを「つき合いにくい人」と言っている。だが、彼の偉大さは理解していて「どんな人に対しても憤りをいだかない知恵の所有者」「一切の菩薩、一切の仏陀の秘奥のところまで入り込んでいる」と称賛している。

 

 

知恵ばかりか神通力もあって、一部屋の中に世界を入れてしまうようなことができる。「認識は空」であり、空間に大きいも小さいもない。神通力によって、見てわかるように仏法を示す。

 

 

維摩(ヴィマラキールティ)とは「汚れなく名声の高い者」の意味である。その名の通り、生き方は清浄であり一徹だ。権威をもろともしないラディカルさが古代から人々を引き付けてきた。ファンだった?聖徳太子も維摩経の注釈書「維摩経義疏」を書いたとされる。大乗仏教においては、たいへん魅力的なキャラクターである。もっと人気がでてもよさそうなものだ。

 

 

* * * * *

 

 

東金堂から中金堂、南円堂方面を見る

 

基壇上の休憩所と五重塔
 

 

 

維摩に別れを告げて、基壇の上で雨がやむのを待った。

 

 

堂内から香のにおいがする。

中金堂の再建現場では雨に打たれながら重機が動く。

五重塔がかすむ。

振り返ると、国宝館から「里帰り」中の仏頭が見えた。

 

 

お堂での雨宿りは、ぜいたくな時間だった。

 

 

仏頭。見えますか?