『絵本画家 赤羽末吉~スーホの草原にかける虹』
絵本画家 赤羽末吉 スーホーの草原にかける虹
出版社からの内容紹介
『スーホの白い馬』で知られる絵本画家・赤羽末吉。
日本初の国際アンデルセン賞画家賞に輝いた画家はどのように誕生したのか。
東京下町に育った子ども時代から青年期に渡った旧満州(現中国東北部)での生活、
戦後の引き揚げによる数々の試練、
そして絵本画家となり子どもたちのために描き続けたその軌跡を、
三男の妻である著者が、義父への深い思いとともに語り尽くす。
―ひとりの絵本画家、そしてその家族のものがたり。
著者紹介 赤羽茂乃
1952年、東京に生まれる。
1979年、絵本画家赤羽末吉の三男研三と結婚。
住まいを近くし頻繁に行き来しながら、義父赤羽末吉の日々の暮らしに触れる。
1990年、赤羽末吉他界後は、夫研三とともに遺された原画やフィルム、スケッチなどの整理に携わりながら、絵本画家が辿った軌跡とその作品について調査を重ねる。
現在、赤羽末吉研究の第一人者として、その生涯と作品の魅力を多くの人々に伝えるため、各地で精力的に講演活動をおこなっている。
横浜市在住。
赤羽末吉 紹介
1910-1990
絵本作家、舞台美術作家、
日本の絵本画家として初めて国際アンデルセン賞画家賞を受賞
本文テキスト
感想など
今から8年前に、赤羽茂乃さんの講演をお聞きしたことがあります。
その時おはなしされた事が少し蘇ってきました。
①食卓話「すし桶の段」294p
家族全員が揃うとお寿司の出前を頼んだ
「美しいねえ、見てごらん。
この鮮やかな彩り。
これはね、すし桶が黒だから美しいんだよ。
黒にね、この赤や白や黄色が乗るから引き立つんだ。
素晴らしいね。
まるで大和絵じゃあないか。
日本人の美意識ってえのはすごいもんだね。ーーー」
それに対して、西洋の食器は・・
と続くのです。
江戸っ子の赤羽さんらしい洒落コメントでした(爆)
②『かさじぞう』雪
332p
雪を見るために新潟へ行ったり、東北へ出かけたとの話。
家族には詳しい場所も言わずに出かけるので、
もし何日も帰って来なかったら、警察に。と話したそうで
実際にも危険な目にあったこともあった。と聞いた気がします。
雪国の雪を実際に体験し、
リアル感の絵を描かれたのだと思いました。
覚えていたのは、この二つくらいでした。
心に残ることば
340p
「カセグような勉強はするな」
赤羽末吉の人生は、カセガない勉強の連続だったとか。
「惹かれる」「好奇心」で背中を押されての探求は、
後から、血や肉になってくるものだと。
三男の方が、理系から文系に進路を変え、
浪人は確実だったろうが何も言わず応援をしてくれたそうです。
絵本に対する考え
407p
「子どもに媚びるものを書くきはしませんね。
媚びなくても正面からいいものをかけば、必ず読んでくれる。」
遺作となった
『おへそがえる』1.2.3
父の人生の礎ともなっているのかもしれい。
「なかよしはんぶんこ」
「おともだちになろう」
満州・中国からの引き上げの時、
身をもって感じるし、命を助られた経験がある。
戦争は、体験した方たちに大きな影を残しています。
どんな事が起きていたのか、口では言えないことが
沢山あったと思います。
引き上げ時の混乱の中、命からがら日本へ帰ってこられましが、
運が良かったと思います。
当時、持ち出せるものが決まっている中、
それを犯してでも、荷を持って帰られました。
これが、貴重な資料となっている事と思います。
『スーホの白い馬』のモデルとなるような男の子や風景
中国の玩具から暮しぶりなど。
赤羽末吉さんは、画家デビューが50歳と遅いのですが、
大使館勤めをしながらイラストや絵を描かれていたようです。
福音館書店でこどものとも月刊誌「かさじぞう」
「スーホの白い馬」と続き、忙しくなり過ぎて、
大使館を退職されたようです。
その後、沢山の絵本を描かれました。

