粉瘤社長の自宅には、2回招待されたのですが、それ以降は気まずくて、ウヤムヤにしております。
粉瘤社長の以前の結婚相手は13歳下の女性で、社長は彼女の小学校低学年のお嬢さんと、彼女の母親のために、かなり贅沢な完全二世帯住宅を建てました。
まぁ、当時40過ぎのオッチャンが13歳も年下の美女と結婚するのですから、当然です。
(ちなみに粉瘤社長の実の母は肝硬変で、結婚前に亡くなっていらっしゃいます)
母屋の1階は駐車場と、自社ビルに置ききれない資材を置くスペース、2階はリビングキッチン、3階はお嬢さんの個室と、ものすごーく広いウォークinクローゼット、そして夫婦の寝室の3部屋ですが、1部屋1部屋がかなり広く作られています。
庭の離れには、奥さんのお母さんのために、18畳のリビングダイニングに6畳間2つの、瀟洒な平屋が母屋に繋がって建てられています。
母屋と離れを繋ぐ通路の両脇には、かつてはメルヘンチックなお庭だったことが偲ばれる、白雪姫と7人の小人たちの置物、庭を幻想的に照らしていたであろうアンティーク風ガーデンライトなどが、フサフサと生えている大根の葉っぱやブロッコリー、白菜、カボチャやネギなど、その他すっかり畑と化した中に、何となくうらぶれた感じで点在しているのが見えます。
粉瘤社長の結婚生活は、わたしと同じく死別で終わりました。
結婚当初は小学校低学年だったお嬢さんも、
(正式に養子縁組しているので、彼にとっては、たったひとりの自慢の娘なのです)
今や二十歳を超え、静岡で、恋人と一緒にプロゲーマーをしているそうですが、詳しいことは粉瘤社長も知らず、非常にさみしいのだそうです。
さて、初めて自宅に招待された時は、本当に心の底から驚きました。
なんと母屋には、粉瘤社長のお義母さんと、ヨソのジィさんが一緒に暮らしており、粉瘤社長は離れに暮らしていたのです!
お義母さんは初めて会ったわたしを少し胡散臭そうに、また、少し怯えた様子で歓迎はしてくれたのですが、母屋に住んでいる「知らんジィさん(粉瘤社長の弁)」は、涙ぐましいほどオドオドと、
「社長、社長」と持ち上げ、粉瘤社長は憮然とした面持ちで、お持たせのカステラを頬張っています。
わたしはいたたまれない気持ちと好奇心で胸がいっぱいになりました。
あとで粉瘤社長に尋ねると、奥さんが亡くなった後、お義母さんはお嬢さんと粉瘤社長の住む母屋に移って一緒に暮らすようになり、お嬢さんが独立して遠くに行くと、しばらくして、ある日、仕事から帰ると、知らんジィさんが母屋のダイニングで普通にごはんを食べており、
「あ、社長! よろしくお願いします!」
と、粉瘤社長を見るなりバネ仕掛けの人形のように跳ね上がってペコペコと挨拶し出し、お義母さんも、
「コーさん、この人が○○さん」
と、あたかも粉瘤社長があらかじめ同棲を許可していたかように紹介なさったそうです。
わたしは吹き出してしまいました。
「ホンマにィ…家賃光熱費、無職のジィさんが俺ん家の庭で勝手に作って持って来る野菜やで?」
わたしはますます必死で笑いを噛み殺す。
「なんや知らん、離れに知らんジィさん時々おるなぁ、思てたら母屋の風呂にある、全然使うてなかったサウナが気に入ったらしいねん」
まさに
「軒を貸して母屋を取られる」のことわざ通りである。
わたしはなぜ、事前にお義母さんと知らんジィさんの事を教えてくれなかったのかと尋ねると、粉瘤社長はますます憮然として答えた。
「ほえみたいに、それなりに普通に育った人間には分からんやろと思って。でも、なぁ..‥母親亡くした娘の、たったひとりの血ィ分けた肉親やと思うと、追い出すわけにもいかんし」
そう、粉瘤社長とはこんな人間なのだ。
肝臓病の母親と自分は実の父親に捨てられ、徒手空拳、裸一貫でそれなりの財を築く事が出来たのは、頭の良さと仕事熱心さに加え、このおおらかで面倒見のいい、親分気質にあるのだとわたしはニラんでいる。
おそらくわたしの主人も、もし居候が転がり込ん出来たなら、たまぁ~にボヤいたりしながらも、決してムリヤリ叩き出すような事はしないであろう。
何となくだけれども、それだけは言える。
……さて、お話変わって、母屋の中に母屋を作られた人間のお話。
もうずいぶん前、病院嫌いのわたしは気管支炎を放ったらかしていたら、ある日、マジで窒息死の恐怖の虜となった。
気管支炎が気管支喘息の発作にレベルアップしたのである。
気管支喘息と言えば、中島敦である。
高校の国語の教科書に載っている、あのシビれるほどカッコイイ「山月記」で、不安と恍惚に揺れ動く10代の心を、今なお鷲掴みにし続ける中島敦は気管支喘息の発作で、たった数え35なんかで死んでしまった。
なので、医学の進んだ現代でも、わたしにとっては、喘息発作=死である。
それくらい、喘息発作の苦しさは劇甚なものだった。
以来、わたしは1年365日、クーラー(エアコンの暖房は苦手なの)を効かせていない部屋の窓という窓を全て空け放ち、おまけに全部屋で365日、業務用サーキュレーターを回し続けている。
なので当然、真冬のわが家では、家の中で吐く息は白い。
加湿器で家の中にカビ胞子が舞うのも怖いし、ハウスダストも怖いのである。
主人は寒い寒いと言いながら、耐えてくれていた。
感謝していたのに…
あれはある真冬の休日、昼下がりの頃であった。
わたしが近所のスーパーでお買い物を済ませて帰って来ると、玄関に猫たちが迎えに来ない。
主人の「おかえり」の声もない。
不思議に思って主人の部屋に行くと、
部屋の中央には、主人がフィールドワークで使う、バーガンディ色した1人用テントが、バーンと建っていたのである。
衝撃が走った。
主人は寒さに耐えかねて、わたしがいない間にコッソリ1人用テントを建てて逃亡し、しかもその中に猫も全匹一緒に潜り込んでいたのだ!
「別居や…別居やわ。コレが本当の家庭内別居やわ!」
わたしが「家庭内別居や〜」と叫んでいると、出入り口のチャックが内側からチャーと開いて、主人が顔だけ出して言った。
「おかえり…でも、メチャクチャ寒いんやもん」
「それでも、家の中にテント建てるって…」
わたしは主人の奇想天外な防寒対策に声も出ない。
そして思う。
「さすがは主人やわ…
ナントカとナントカは紙一重、つーけど…」
しかもよく見ると、出入り口が少し開いていて、そこからホットカーペットのコードが延びている。
取り敢えず、わたしは衝撃を抑えるために、黙ってごはんの支度を始めた。
少し早い時間だったが、わたしは鍋焼きうどんを作った。
主人の大好物である。
主人を呼ぶと、主人と猫たちがモソモソと這い出して来た。
猫舌の主人は鍋焼きうどんをゆっくりゆっくりと食べ、具の鶏肉を猫と分け合ったりしている。
主人は食べ終わると、
「ごちそうさま」と言って、また自分の部屋=テントにそそくさと戻って行こうとする。
「コレがホントの正真正銘の家庭内別居やわね」
とわたしが嫌味を言うと、
「違うよ。防寒対策だよ。ほえさんは窓閉めたら喘息になるし」
と生意気にもわたしに反論し、テントのチャックを開けて主人が潜り込むと、わが家の猫たちも次々と主人の後に続いた。
「じゃ、おやすみ」
と顔だけ出して主人は言うと、チャーッとチャックを閉めた。
取り残されたわたし。
猫が中にいなければ、テントをボコボコに殴ってやるのに。
猫たちにも裏切られ、憤懣遣る方無いわたしは、さっそく友人たち3人に写真付きLINEを送った。
「この写真、見て! 家の中でテント生活って尋常じゃないわ! コレがホントの正真正銘の家庭内別居やわ!」
返事は結構すぐに返って来た。
その返事たるや、要約すると、わたしを非難し、主人に同情を寄せるものばかりであった。
……さて、軒貸し母屋取られ人間の粉瘤社長は、主人のこのエピソードが大のお気に入りである。
なので、わが家に来ると、大袈裟に
「ああっ、寒い! 寒い! 吐く息白いっ!」
と言いながら、勝手に鬼の首でも取ったかのように、全部屋の窓を順番に閉めてゆくのである。
「ああっ! 窓が氷のようやっ! 手ぇが凍傷になる!」
うるさいなぁ、黙って閉められへんのかいな、と思うのだけれども、それを言うと、
「あーあ、ほえのご主人はさぞかし寒かったやろうなぁ、可哀想に…」
などとキリで胸を刺さすような言葉でグサグサ刺されて以来、わたしは黙っている。
そうだ、本当にそうなのだ。
わたしは主人のために、窓を閉めるべきだったのだ。
せめてわたしの隣の主人の部屋の窓くらい、閉めてあげるべきだったのだ。
しかしながら、粉瘤社長がわが家から帰ると、
「パパ、ごめんね。寒くない?」などとつぶやきながら、やはりわたしは全部屋の窓全てを開け放って、サーキュレーターを回し、吐く息が白く見える家で暮らしているのである。