「まあ、15回死ぬだけじゃ足りないものね」


太陽がやたらとまぶしい修練場で、満身創痍、息も絶え絶えに地面へ転がる俺たちに対し、優しげな聖母の笑みで修道服に身を包んだ師範は告げる。

その隣には、和装に般若の面を被った大男の師範だ。


「ここでなら何度でも死ねる。あなた方が欲しい力を得るために、何度でも我々は死を提供しよう」

「でも、ただ死ぬだけじゃ意味がないわ。なぜ自分は取り込まれ、なぜ彼は取り込まれず乗り越えられたのか、その差を知るべきね。取り込まれず、祓える者に教わるのも修行よ」


修行生たちの視線が俺に集まった。

たったいま、俺は課題をクリアしたからだ。


俺は俺の精神を蝕む『悪夢の核』を握りしめ、己の内から外へ、確かにある鬼の門へと投じて見せた。

鳥居に似た朱色の門の鬼が核を喰らうと、門は閉じながら「血」という文字へ変じ、それがさらに般若の面へと変じて地に落ちる。

これで自身から祓い終えたと確信できる。

あの門は、悪夢の核をひとつ食らえば、即閉じてしまう。

俺以外の人間は、心臓に打ち込まれた闇の呪によって内側から精神も体も砕かれるしかなかった。

この訓練場で、門によって一度に救われるのは一人きりだ。


他の修行生たちは育ち切った悪夢の核に心臓を砕かれる、その前に先生からもたらされる解呪の錠剤によって死を免れる。

たとえ訓練用にあえて弱く作られたものだとしても、死ぬほどの、心臓が破裂するほどの痛みが伴う。

そうして本来の対象、『闇の核』という存在そのものを知覚する。


修行生たちにはみな目的がある。死の苦痛を味わってなお、力に覚醒しなくちゃいけない理由を持つものばかりだ。

俺もそのひとり。

家族の仇をとる。

心臓を砕かれ、全身が黒く壊死し、呪われ、死んだ俺の家族と村の人たちの仇。


この世界に存在している邪のモノ。

呪の集合体。

それを打ち砕く力がほしい。


先生のアドバイスを受けて、それなりに交流のある同期たちはどうやって俺が核を捉えられたのかを聞きたそうにする。

でも答えることはできない。

俺の中には強大な力を宿したものがいる。

それが俺に気づきを与えてくれる。

だから、内に埋め込まれた悪夢の核を的確に掴み、外へ取り出せただけだ。

俺の力じゃない。



俺自身は深夜、結界近くの焚き火の前でひとり、俺の中に宿る、口の悪い、でもなぜか俺を乗っ取らずに面倒を見てくれるらしい強大な力の塊に問う。


「闇の核はな、試練だ。なぜその光景を見せられているのか、試練の本質を理解し、己の弱さ、足りなさ、求めるものを知り、その核を掴む。掴めば、取り出せるだろ。弱毒化された悪夢の核なら尚更、ヒントは明瞭だ」


闇の核から生まれる数多の呪は、幻覚で人を取り込み、悪夢のうちに心臓を砕く。

でもその悪夢はただの悪夢だと、悪夢の根幹に自分の望みとよくと誤った思い込み、信念のあり方を俯瞰して理解できれば、取り込まれる前に掴める。

自身を正しく理解する。

他者も自身も正しく、客観的に、需要的に、良いも悪いもなく。


この場所でなら、それを獲得できる。

そうでなければ、なすすべもなく死んでいくだけだ。


いつからこの機関は存在しているのだろう。

この機関の師範たちはどれほどの修羅場をくぐってきたのだろう。

数奇な運命と呼ぶにはあまりにありふれた悲劇の中で、俺はじっと自分の手のひらを見つめた。