ドラクエで見るファンタジーの距離感
あるいは内なる世界とオタクの素質の関係性と方向性についての一考察
先日友人たちと話していて、「その感覚!?」となったことがひとつ。
それは、「ファンタジー」との距離感。
または、フィクションと自分との親和性。
あるいは、うちなる世界観とオタクたる素質の方向性。
さて、ここで質問。
あなたがドラクエをする場合
①勇者に自分の名前をつける?
②仲間の戦士や僧侶にリアルな友達や家族の名前をつける?
まず、①で自分の名前をつける方は、物語世界において自己投影型だと思う。
②でさらにリアルな人間関係の名前をつける場合は非オタの可能性が高いと思われる。
ファンタジーに馴染めない勢も多分いる。
ドキュメンタリーとかノンフィクション、伝記物、恋愛映画とか、リアル寄りの創作を楽しめるタイプと見た。
①で自分の名前をつけつつ、仲間の名前は好きなキャラや架空の名前にした方は、
自己投影型で、没入型夢女子の素質もありつつ、若干妄想癖のあるオタの素質も垣間見える。
フィクションをフィクションとして受け入れ、かつその世界観に没入できるタイプ。
自分の中にイマジナリーフレンド、あるいは、ファンタジー世界が存在してる可能性も高い。
①で自分とはかけ離れた名前をつける方は、
「自分ではない自分」の分身で現実から全力で逃避して没頭するタイプか、
「プレイヤーとして物語を俯瞰して楽しむ」タイプ、
どちらかにある確率が高いと見た。
自分という存在を消し去って推しを観測したいタイプのオタク率も高い。
自分の内側に、当たり前にひとつ(あるいは複数)の世界が存在してる『創作者』もここに多そう。
なお、自己投影没入型とはほぼ対極にいる可能性。
これがすべてじゃないのはもちろんなんですが!
異論も当然認めるのですが!
現実からどれだけ乖離したいかって、
ファンタジー世界をどれだけ自分の内側に育ててるかでもあるのかな、とも思うのでした。
ちなみに、友人たちとのやりとりを経て。
私がオーダーメイド物語のご依頼品において、
『登場する人物に対し固有の名前を出さない』のは、
・名付けは本人に任せたい
・自己投影の仕方は人それぞれ
この二つがあるからだなー、とあらためて気づくことになったのでした。