20年以上前の台風の夜。

空港で出会い、大阪ー東京間の長い旅を共にしたあの方々は今どうしてるのかなと思い出すのです。


それは、インターネットも携帯電話の普及もまだまだ遠い未来だった頃の話。

文通か、もしくは固定電話でファックスのやり取りが主流だった時代。


その日、20歳そこそこだった私は一人、東京のイベントに行くべく飛行機に乗りました。

全国にいる同じ趣味の友人たちとは羽田空港や東京の宿で待ち合わせです。


まあまあ当時から飛行機運のない私は、遅延や欠航によく当たりました。

この日はまさかの台風。

欠航はせずとも、遅延は確実。

でも、とりあえず飛行機が飛ぶとあって、ほっとしたのを覚えてます。

順調にいけば、2時間後には羽田です。


でも、2時間経ち、3時間経ち、私はなぜか大阪の伊丹空港に降ろされていました。

関東の台風の勢いが凄すぎて、羽田に降りれないためです。


羽田空港で待ち合わせしている友人とは、互いの家の固定電話にかけて、家族に伝言を託すことでやりとりしました。

もう必死です。

彼女は彼女で別の空港に降りてるようでした。


とりあえず伊丹空港から新幹線の切符売り場へ。

でも土地勘がないうえに方向音痴の私は、どこに向かっていけばいいのかすら見当がつかず。

不安になりつつ、同じように降ろされたご夫婦に場所を聞いて向かいます。

そして、そこでも絶望的な状況を知らされました。

飛行機はおろか、バスや新幹線も運行中止。

あらゆる公共機関での羽田入りが不可という状況だったのです。


もう、そこから一歩も動けません。

なにしろ、明日がイベントなんです。

一泊して翌日飛べばいい、動けばいいという話にはならないわけです。


途方に暮れる私の前に、先ほど切符売り場の場所を尋ねたご夫婦が声をかけてくれたんです。


「これからレンタカーで東京に行くけど、一緒に乗って行かないか」


まさしく天の声でした。

そして、救いの手でした。

どうして私に声をかけてくれたのか聞くと、「泣きそうだったから」と。


かくして、大阪から東京までのワゴン車の旅は始まりました。

ご夫婦とご友人の3人、結婚式に出席予定だった女性4人組、そして私という、見ず知らずの8人での旅。


長い長い道のりです。

悪天候の中、どんどんと夜は更けていきます。

夕飯は浜名湖でウナギを食べてひと休憩。

テレホンカードを買って、また家に伝言を残すために連絡を入れます。


そうテレホンカードの時代だったんですよ。

引っ越すまで、大事に取っておいてました。


うなぎを食べて、他愛のないお話もして。

四人組の女性陣は、結婚式で踊りを披露する予定だったそうです。

踊りたかったと言い、少し歌ってくれました。

車を運転しているご夫婦が宮崎の方ということもおしゃべりの中で知りました。

そして、私を同郷と思ってくれてたのも知りました。


私の父は九州の人です。

そして、どうも私には九州訛りがあるようでした。

不思議なご縁です。


真夜中近く、ご夫婦のご好意により、私は東京の宿まで送り届けてもらいました。

同じく苦労してたどり着いた友人たちと涙の抱擁をしつつ、ご夫婦にお礼を言って別れました。


ギリギリの中で救われたあの嵐の夜から20年以上が過ぎました。

あの方々は今なにをしてらっしゃるのでしょう。

名前も知らないあの方々に、いまでも感謝をしているのです。


おわり。