探偵たちの黙示録◆六冥館のひみつ


「六冥館に6人で泊まるだろ。そうするとさ、居もしない7人目が紛れ込んで来るんだって。面白そうじゃね?」

 由緒正しき成金と自ら言ってのける紀陸家御曹司たる麗音が、その貸別荘の旅行を提案したのが、すべての始まりだった。

 ――と、そう、言い切っていいものか。

 そもそも、大学のミステリー研究会特別夏休み合宿と称して、どこか行こうと言いだしたのは一体誰だったのか。
 さらに、山間に佇む別荘とかにすればいかにもミス研にふさわしいうえに、避暑も兼ねられると主張したのは一体誰だったのか。

 思い出そうと思っても、今となってはノリの良さだけが記憶に残っていて、誰のせいにすればいいのか全くもって不透明なのだ。
 ただひとつだけ確かなものがあるならば。
 それは、自分たちが今まさにクローズドサークルの内側にいるのだという、その事実だけである。

 *

 豪奢なシャンデリアが見下ろすその広い談話室には、白塗りの壁に赤い絨毯、ガラス戸の飾り棚に並ぶ陶磁器のコレクション――そんな絵に描いたようなモノたちがあふれている。
 火の付いていない暖炉脇に置かれたソファセットには、部長の一ノ瀬をはじめ、海斗、暁月、そして紅一点の茉莉奈の姿があった。
 集まる部員たちの中、サークル最年少の誠だけが、天井に届く大窓から外を眺めている。

「いやあ、すごいッスねぇ。一泊目から、見事な嵐に見舞われてるっすよ」

 窓の向こうでは、今日の昼からずっと雨が続いている。
 時折空の上で光が閃き、鈍く重たい音が風雨とともに窓ガラスをふるわせている。
 ガラスを濡らすのは水滴とは到底呼べず、ひたすら途切れなく滝のように流れ落ちていった。
 まるで、海外ミステリーかホラー映画のようなシチュエーションだ。

「ね、明日には帰れると思います、一ノ瀬部長? 雨止みますかね?」

 振り返り、誠は軽く首を傾げて話題を振る。

「これは当分止まないんじゃないですか? 紀陸君が聞きに行ってくれているけど、どうかな」
「あらら。……こういうのを《嵐の山荘》って言うんだっけ?」
「おい、不吉なこと言うなよ、暁月!」
 隣に座る彼の口を、慌てて海斗が塞ぎに掛かる。
「海斗さん、積極的だね」
「そういう変な言い回しやめろ! つか、ホント、変なこと言うな! なんか、洒落にならねぇ気がする!」

 しかし、そんな必死さなど微塵も伝わることなく、伸ばした手はあっさりと掴まれ、逆に中途半端に抱き寄せられるカタチとなってしまった。
 結果、海斗は暁月の腕の中でじたばたと足掻く羽目に陥る。

「あれ、暁月くん、本格ミステリも読むんだね」
 意外そうに、茉莉奈が首を傾げて問う。
「海斗さんが読んでるのを借りただけ。あんたも読む?」
「んー、海斗君とはけっこう蔵書が被ってるからどうかな。タイトルは?」
「“双頭の悪魔”……だったかな」
「あ、それならもう読んでるわ」
「そこへ行く前に、クローズドサークルの基本として“そして誰も居なくなった”を読むべきだとオレは思うんですけどね」

 古典主義らしい一ノ瀬の呟きに、茉莉奈は笑顔で頷く。

「うん、そこを押さえておくと、新本格は一層楽しめるよね」
「あ、オレは読みたい! 《そし誰》もちゃんと読んだし! つーわけで、海斗先輩、次オレに貸してくださいよー」
「ソレはかまわねぇけど、まず先にオレを助けろ、誠! はがれねぇんだよ、こいつ!」
「四宮君、キミが海斗君を助ける必要はありませんよ。自業自得です」
「い、一ノ瀬~!」
「いいじゃない、海斗さん。あらしの夜を楽しもうよ」

 緊迫感のカケラもなくじゃれ合う彼らの前で、リビングの扉が開かれた。

「あー、あー、無理無理。土砂崩れで道路ふさがっちゃった」

 携帯電話片手に、麗音が別室から戻ってくる。
 別荘の借主である彼は、自分を待っていた部員たちに向けて迎えの車が明日には来ないことをあっさりと告げ、そして予定から更に一泊延びることもついでのように話す。

「というわけだから、もう一泊だな。海斗と出かけると、やっぱなんか起きるんじゃね?」
「なんでそこでオレを名指ししやがんだ、麗音!」
「あー、確かに。海斗さんと一緒なら仕方ないッスね」
「なるほど、海斗君の不運のなせる業だというのなら仕方ありませんね」
「海斗さん、すごいじゃない。これで何度目?」
「去年の冬休み合宿と春休み合宿と文化後の打ち上げで、4回目? なあ、4回目?」
「いえ、紀陸君。さらに昨年の市民展覧会での件も含めて、通算5回目のトラブルです」
「……え、マジっすか、海斗さん」
「……う、ぐっ……」

 これまでのトラブルの数々を指折り数えて提示されていき、海斗はがっくりと撃沈する。

「もう、いい加減にしないとだめだよ、みんな」
 見かねたのか、ついに茉莉奈から制止の声が掛かった。
「それでも海斗くんと出かけるのを選ぶ時点で、みんな、大好きなんでしょ、海斗くんのこと?」
 さらっと指摘する彼女の発言に、誰もがちょっとだけ視線を泳がせ、口をつぐんだ。
 沈黙は肯定を意味すると自覚しつつ、会話が途切れた。
その隙間を埋めるように、ことさらガタガタと窓が風雨で揺れている。
 稲光が天を走る。
 そして――

「あ」

 ――まるで予定調和のごとく、《停電》が起きた。
 一瞬で世界を黒く塗りつぶされて、たったいままで光の中にいた6人は突然の暗転に視覚を失う。
 ざわりと、不思議な緊張感が場を覆った。
 しかし、ソレもすぐに解けてしまう。

「これで明かりが復旧した途端に、誰か死んでいるっていうのも基本だっけ?」
「だから、やめろって、暁月!」
「えー? でも、だったら今日の夕食時点で毒殺が出てたっていいんじゃないッスか」
「普通、一泊目は平常通りじゃないですか? 登場人物の関係性をまずは提示しますしね。そして何事も起きない。大概は二日目以降ですよ、事件が起こるのはね」
「ええと、正体不明の人物に謎の招待状で呼び出されたんじゃなければ、そうなるよね。明日の朝、朝食に起きてこないってところから《惨劇》は始まるんじゃないかしら?」
「一ノ瀬、茉莉奈まで、何言い出してやがる……!」

 海斗の声だけが、嫌に切羽詰まって闇の中に響く。

「仮にもミス研なら、この情況くらい楽しめなくてどうするんです、海斗君?」
「なるほど。本格の様式美というのも面白いね。それで? このあとは“ミステリ的には”どうなるわけ?」
「暁月先輩、こういう時はですね、この別荘で過去に何らかの事件が起きてる可能性も考慮するンすよ」
「へえ?」
「曰くが欲しけりゃいくらでも出てくんじゃね? あるいはこの部活内で過去に事件が、ってヤツ?」
「だったら。今回の旅行の参加者に、思いがけない関係性が浮かび上がってきたりもするかしら?」
「無差別、というのはないんだ?」
「愉快犯を扱うなら、むしろ“芸術家”を気取ってもらいたいですよ。ただ殺すことが目的だというのなら、そこに理由がないというのなら、それはミステリーではなくホラーであるべきです」

 一ノ瀬の、耳障りの良い声が凛と通る。

「しかし、たったひとりを糾弾するために犯す連続殺人……というのは、動機が弱いですからね。やはり、複数名に向けた“復讐”とするのが分かりやすいと思いますよ。そして犯行内容に拘りが強く出ていればいるほど、手が込んでいればいるほど、犯人の思いの深さが垣間見え、舞台は盛り上がるんです」

 復讐劇を演出するならこれほど美味しいシチュエーションはないのだと笑いあい、ありもしない物語を闇の中で作り出すのがミステリ好きの性なのかもしれない。

「なるほどなるほど? 嵐の山荘で殺人鬼が目を覚ますって感じ? いい…! すっげぇいいじゃん!」
「いらねぇ、そういう発言はいらねぇから、やめろって!」

 何に怯えているのか、しきりに海斗はみんなの台詞を否定に掛かる。
 まるで、その発言ひとつひとつが《眠れる殺人鬼》の意識を揺り起こすのだと言わんばかりだ。
 本当に、誰かがこの暗闇の中で消えてしまうと不安がっているようにも思える。

「仕方ありませんねぇ。それじゃあ、怖がりな海斗君のために点呼でも取りましょうか? それとも人数確認ということで順番に数字を言っていきましょうか」
「……な、なら、麗音からでいいだろ。最近入部したヤツから順番に、番号を言ってくんだ」
「いいわね、海斗くんの案に賛成。というわけで、紀陸くん、次に誠くん、それから海斗くん、わたし、一ノ瀬くん、……アレ、暁月君って」
「オレは海斗さんとほぼ一緒。追いかけて入ったから、まあ、一応海斗さんよりあとで誠より先、かな?」
「あ、そっか。じゃあ、順番はそれで。いいかな、一ノ瀬くん?」
「……ですね」
 それじゃ開始、と一ノ瀬の号令が掛かる。

「いーち」
「にぃー!」
「3」
「よ、4……!」
「5」
「6……で」
「……、……ナナ?」

 ――っ!?
 反射的に、席に着いていた全員が席から腰を浮かせた。
 刹那。
 稲光が、漆黒の部屋を瞬間的に照らし、そこに居る者たちを闇の中から浮かび上がらせる。
 間髪入れずに、雷鳴が館を震わせ轟いた。
 その中で、網膜に焼き付けられた人の姿。
 シルエットをとっさに数えられた者などいない。

「おい、誰だ、いま“7”って言ったヤツ! 誠か!?」
「ひど! オレじゃないっすよ、海斗先輩!」
「ええ、アレは四宮くんじゃありませんよ。もっと別の、でも聞き覚えのある声です」
「あ、でも……じゃあ誰かしら?」
「いやあ」
「おい、麗音! 何でもいい、明かりだ! 懐中電灯見つけてこいよ!」
「は? 懐中電灯っつったって……」
「携帯電話の液晶は結構明るいですよ。それをとりあえずの光源に」

 一ノ瀬がそう告げたのとほぼ同時に、パパパ…っと、シャンデリアが瞬きながら息を吹き返した。
 闇に慣れかけた視界に、突然の光で、誰もが強く目をつむる。
 そして、

「やあ、いきなり電気が消えるから驚いてしまったよ」

 のんびりとした口調が全身の視線を集めた。

「「「「「伍島先生っ…!」」」」」
 
 頭を掻きながら困り顔をしている、このミステリー研究会の顧問兼引率者に、全員が拍子抜けして肩を落とす。
「伍島先生だったんですね。わたし達、みんなしてビックリしちゃいました」
 茉莉奈が、明らかにホッとしたように笑った。
 見知らぬ《殺人鬼》の侵入を許したかと、誰もが一瞬考えたのかもしれない。
 けれど、明かりが付いた今となっては、あの時全員に走った心臓を鷲掴みされる衝撃も、ただのちょっとした教諭の茶目っ気として片付けられる。

「いやね、この雨だから、紀陸くんが迎えの確認をしてくれている間、先生も学校とか家とかに連絡を入れていたんだよ。そうしたら、いきなり停電になってしまって」
「そうだったんですね。すみません、先生お一人にお任せしてしまって」
「いや、引率者としての責任なんだ、気にしなくていいよ、一ノ瀬くん」

 ふんわりと伍島は、一ノ瀬にも笑いかける。

「しっかし、先生も人が悪いッスねぇ。暗闇だからって、点呼で居もしない7人目を演出しちゃうんっスから」
「なんの話だい、7人って?」
「……へ?」
「点呼の声が聞こえてきたから、混ぜてもらったけど……誰か2回番号を言ったじゃないのかい?」
「はぁ? 何言っちゃってんの? おかしくね、それ? 順番は確認したって」

 誰かが間違えるなんてことはあり得ないと、紀陸がそれを否定する。
 しかし、

「だって、紀陸くん。先生を入れてちょうど6人になるからって、キミがこの合宿に誘ってくれたんじゃないか」

 きょとんとしたカオの教諭が告げる言葉に、全員の表情がシン…っと凍った。
 今度こそ、凍り付いた。

「あ、待って。もっかい確認! ええと……さっきここで点呼を取った時にいたのは、部長の一ノ瀬聖也君、わたしこと弍川茉莉奈、それから」

 ひとりひとりを指さしながら、茉莉奈がゆっくりとメンバーを確認していく。

「宇参海斗くん、……四宮誠くん、紀陸麗音くん……、伍島先生、……アカ、……ア、あれ?」

 ざわっと、空気が揺れる。
 決定的な、あり得るはずのない《現状》の再認識をさせられる。

「もうひとり、居たよね? 海斗くんの隣に、座ってた……」
「いた、いましたね、確かに」
「間違いないッスよ、オレたち、ちゃんと話してましたもん」
「なんだよ、すげぇことになってね?」

 一緒に、本のタイトルまで出してミステリの話をした、様式美を踏襲した上での物語が展開される可能性についても話した、はずだ。
 なのに、その相手が、たったいままで仲間だったはずの人間の名前が、出てこない。

「……だから、言っただろうが……」

 かしかしと項を掻きながら、海斗はむっすりとした表情で告げる。

「そもそもだ。そもそも、わざわざこの人数で《六冥館》に来たのは、紀陸が言ったこの《現象》を確認するためのモンだったんだろうが」

 紀陸が借りた別荘《六冥館》にまつわるひとつの噂。
 あるいは、ひみつ。
 それは――

「六角館に6人で泊まると、居るはずのない7人目が現れる、だろ?」

 雷の閃光が、カッと窓から館を、場を、そして海斗達を貫く。

「それじゃあ……」

 一体自分たちは誰を招き入れたのか。
 共に話したその相手は、一体なんであったのか。
 居るはずのない7人目の部員が何者であるのか、知ることは果たしてできるのか。
 そして、その《もう1人》の存在が、自分たちに何をもたらすのか。
 嵐で孤立したこの山荘で、ミステリー研究会の面々は朝が来るまで延々と、解けない謎に悩まされることとなる。 

 そして、嵐で閉ざされた世界で《一夜目》が更けていく――


To be…or END ?


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