◆オーダーメイド物語
【あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語】
▶︎ご依頼主:きなころう様
星空と旅路をキーワードに、一年前にお届けした物語の「あの世界の続きを」と、ご依頼いただきました。
青の色彩に情熱の炎を重ね、昨年までとは変化した様々な関係も取り入れながら、存分に綴らせていただきました。
▶︎物語
*…星の記憶、焔の旅路、そして神々からの祝福を…*
頬を撫でる風に氷の気配が混ざり込み、今年もまた、《星誕祭》の季節が巡ってきたのだと知る。
アズライト、アパタイト、ラピスラズリ、サファイア、トパーズ、アクアマリン――水晶細工のランプの中でまたたく青に蒼や碧を重ね連ねた結晶たちが、地上に星の海を創り上げる祭りの夜。
街に、村に、道に、森に、青があふれていく。
その光景は神々しいほどに美しくて、凍りついた星の時間に身を浸し、祝う夜は特別な時間となるのだ。
毎年、この時期になると私の心はそわりと沸き立つ。
武芸に優れた同門の兄弟子たちとの他愛のないやり取りも、夜市でのふだんはめったに出回ることのない稀書との邂逅も、星々の神に捧げられる奉納演武の観覧も、すべてが非日常の青の中で鮮やかに輝いていた。
けれど、それは一年前までの話。
いまの私は、以前の私が想像もしていなかった場所で、空想に留めていたことをなしている。
私は携帯用のイーゼルに立てかけたキャンパス越しに、ただひとりへと全神経を向けるのだ。
視線の先に存在するのは、星々の神の寵愛を一身に受け、昨年の星誕祭における奉納演武では神庭へと招かれた魔剣遣いたる彼の姿。
彼の人はいま、スノードロップの灯りが群生する月湖の上で身の丈を超える大剣を優美に操ってみせてくれている。
刃にまとう清廉な焔が美しく光の弧を描き、しゃらりと空へ散っていく。
祈るように厳かに、流れるように風雅に、湖面に星を舞わせながら、月光水晶よりもなお透き通った笑みで舞う。
私の腕は、奉納演武にむけた鍛錬のためではなく、絵筆のために存在していた。
私の足は、武を司るのではなく、見聞を広げる旅のために使われていた。
私の思考は、知識は、技術のすべては、ままならないけれど、目の前の人に注がれ、捧げられていた。
スケッチブックやクロッキー帳もふくめ、描いた数は千枚を優に超える。
それでいて、なお、彼の人の躍動感を、麗しさを、灼けつくほどに高純度な魂の輝きを、満足に描くことができていない。
けれど、その事実に対して暗澹たる不快さや焦燥はなく、ただ、もっと高みへと望む己の魂の声が響くだけだ。
一度は折った絵筆を再び持つ決意をさせてくれた出会いから、今この瞬間までのすべてが奇跡のように、私の心を満たしていた。
その彼が、見事なまでの残心で凛と空を見上げ、その蒼く燃える瞳に歓喜の色をにじませる。
「神の許しを得られたぞ。扉は開いた。今宵は少し遠出をしよう」
「遠出?」
差し出された言葉に、私は思わず動きを止める。
「なに、遠出といっても心配はいらない。星々の神は時の流れにも寛大だからな」
青の焔を纏う星の化身は、その鍛え抜かれたしなやかさをもって、私との間にあった距離を一瞬で詰め、
「え?」
とっさに掴んだ画材とスケッチブックの入った鞄ごと、私をキャンパスの前から浚って空へと跳んだ。
包まれる浮遊感。
視界を埋めるほどに、螺旋を描きながら降り注ぐ星の結晶たち。
幻想たる奔流にのみ込まれながら、彼は魔術師でもあったのだと、今更のように思い出した。
そして――
「こ、ここは……え、どうして? なぜここへ?」
目の前の光景が理解できず、私はまともな問いすらできずにうろたえた。
タンザナイト、カイアナイト、ラブラドライト、アズライト、ベニトアイト……揺らぎうつろい輝くアオで彩られたステンドグラスの窓が私たちを見下ろしている。
ここは、星の記憶で構築された、星誕祭のはじまりの記録すらも収められた、神々と星々のための儚く美しい古代から続く神話図書館。
またの名を――《星海の王が眠る城》。
「君の目は特別性なのだからな、より多くの良きものを見ておくべきだろう?」
「……とくべつ、せい……」
「絵描きとは、武芸者と等しく、己の五感を研ぎ澄ませるものだとも聴いた。ならば、その刺激はより強いものがいいかと思ったんだが」
「……それで、ここに……?」
「君は本も好きなのだろう?」
「はい。本には、ありとあらゆる時間と場所と想いが、時には世界そのものが綴じられていますから」
「ならば、良かった。星々の神も君のような存在を歓迎するものだしな」
蒼よりもなお青く輝く彼はそう笑って答えてくれるけれど、しかし、望んで行ける場所ではないことを私は知っている。
かつて夜市で手にした神話集を紐解き、得た知見によれば、数多の研鑽を積んでなお人の身で辿り着くことなど出来はしないはずだ。
それほどの神性、それほどの聖域。
なのに。
「さあ、好きに見て回る許可は出たが、時間は有限だ。行くぞ」
こともなげに告げられ、するりと手を引かれて。
そこでようやく、今の今まで彼が私の手を放していなかったことに気づくが、それすら神の領域へと踏み込む好奇心に呑まれてしまった。
一足ごとに、星屑を散らした床が、壁が、窓が、扉が、シャンデリアがしゃらりと優美に歌う。
目を凝らせば、蒼できらめく壁の中にはいくつもの書物の背表紙が並んでいた。まるで螺鈿細工のように複雑に絡まり混ざり合う色彩に魅了される。
星々が抱く物語が、悠久の時を語るものが、そこにあるのだ。
確かにあるのだ。
時に書物を手に取り、時に掲げられた星の絵画を見上げ、時に壁に寄り添うパイプオルガンから生まれる旋律に耳を傾けながら、私は私の中の衝動に翻弄される。
視覚が、聴覚が、嗅覚が、触覚が、そして五感を超えた全感覚たちが、智と美の奔流に溺れながらも歓喜の声をあげていく。
描きたい、描き留めたい。
刹那の時をも惜しんで、あなたを描きたい。
いまこの瞬間、ここに立つあなたも、星々の中で微笑むあなたも、すべてを描き留めたい、思うままに、思うさまに。
サビ付いてしまった腕を再び磨くことを決めた私は、あなたをあなたとしてキャンパスに写し取れるだけのスキルが欲しいと切に願っている。
己がそれほどの才能を、技術を、感性を、磨き上げられる器であるのか戸惑いつつも、衝動は止まない。
そんな想いたちが玉座の間へ辿り着いた時に言葉となってこぼれてしまったのだろう、隣に立つ彼が応えるように言葉を紡ぐ。
「なに、在りたい己を描き、在りたい己を目指し、ありたい己に恥じぬよう努めるだけのことだ。星々の神は存外、努力するものを好むぞ。魂を磨き燃やすその姿に愛を注ぐのだ。星々もまた、己を燃やし、命を燃やして、自ら光を放って存在を示しているだろう?」
星々の神の愛を一身に受ける彼の、真っ直ぐな視線に心を射抜かれるのは、これで何度目だろうか。
「君の兄弟子たちは本当に気持ちがいいな。真っ直ぐで、好い漢たちだ。君の身を案じていたぞ。だが、君の進む道を祝福してもいた」
ふぅっと目を細めて微笑うその佇まいは、熱を孕んであまりにも美しい。
「そんな君に、俺からの贈り物だ」
見惚れる私の目の前で、彼は指揮するようにするりと空に指先を躍らせ――次の瞬間には、香水瓶のようなものを手のひらに乗せていた。
中には、きらめき揺らぐ蒼が閉じ込められている。
「そこに色や光を取り込むと翌朝には顔料になると聞く。受け取ってくれ」
「そんな、ここに連れてきてもらっただけでも十分……」
「君の眼を通してみる俺は、面映ゆいが心地よい。新たな発見もある。だからもっと見せてくれ」
胸の奥が、魂の核が、ふるえる。
「俺と来てくれて、ありがとう」
視界が、声が、すべてが、あふれた涙ににじんで揺らぐ。
それでも確かに彼からの贈り物をこの手で受け取って、私は深く深く頭を垂れて礼に代える。
言葉にできないほどの彼へ向けた想いとともに、これを確かな形へと昇華させる術を、ゆくべき道を、私はもう知っているのだ。
了
Copyright RIN
▶︎前作
・…*…*…*…・
◆きなころう様
オフラインでご自身の好きを大切に邁進されていらっしゃる方で、リアルで刺激をいただいてます。
そして、とてもありがたいことに、今回の物語とそこにつけている後書きを通して、
「背中を思い切り押してもらった」
「これはセラピーだと思った。物語セラピー」
というお言葉をいただきました。
目指したいのはこれなのだと、そして、今後はより物語の力をお届けしていくと誓った次第です。