『症例A』(著:多島斗志之)
精神科医がある17歳の少女と出会い、その症状から、心理士とともに彼女の真の病名を探る物語。
精神科領域を学んでいて、かつ、本当に精神病の患者さんと直に関わったことがある人ほど、「あー」ってなります。
作者さんご本人は医師ではないのですが、とにかくすごく勉強されてるのがわかるのです。
そして、この本を読んで思うのは、『病名』という名付けの功罪。
作中でも、ある少女に現れた症状から、それがどの病名に当てはまるのか、を探っています。
つまり、名付け行為が行われている。
そして、病名によってその少女との関わり方を変えていく。
……でも、名付けたことで、もしかすると、他の病気の可能性から目を逸らしたり、都合よく解釈してしまって、彼女自身と向き合うことを怠ってしまったかもしれない。
この辺が、物語としても、そして医療者として現実に関わっている身としても、興味深いのですよ。
言葉にならない想い、得体の知れない存在、理解できない症状や現象。
人はそこに『名前』をつけることで、枠を作り、『理解しうる存在』『他者と共有するための共通言語』へと変換してます。
いわゆる『言語化』もその『名付け』一端。
『もやもや』に『嫉妬』や『罪悪感』という名を、胸を締め付ける感覚に『恋』や『憧憬』という名を、与えることである種の安心感を覚える。
他者に、「あなたの抱えているものは○○です」「あなたは○○という病です」と言われることで、得体の知れないものに形を与え、意識する。
ただ時に、その「名付け」は一歩間違うと、呪いになることもあるんですよね。
名付けによって生まれたイメージを相手に当てはめ、その色眼鏡(認識)で相手を見てしまうリスクを負うことになるわけです。
あるいは、本人が、名付けられたものへ自身を近づけるように、そうであろうと振る舞うかもしれない。
ちょうど、「A型のあなたは○○です」の言葉通りになってしまうように。
だから、『診断という名の名付け』には慎重であるべきだし、看護する側は、患者さん自身にまず向き合う、病名ではなく本人を観る、そして、時には『この人は本当にその病名なのか』を考えてみる必要があるのでは、と思うのです。
現に、『うつ病と診断された40代の方が、実は若年性認知症だった』という事例があるんですから。
そして、この名付けについてもうひとつだけ。
作中でも言及されている『精神分裂病』。
この言葉を聞いたことはありますか?
そこにどんなイメージを持ちますか?
では、『統合失調症』という言葉ではいかがですか?
どちらも同じ病気を指すのですが、その名前で受ける印象には違いが生まれます。
そして、診断名を告げられた本人や家族にとっての衝撃の度合いも違います。
私たちは、名付けによって理解の枠組みの中に現象を落とし込みます。
でも、その名前から受けるイメージが、実態とは大きくかけ離れていたり、あるいは、偏見を生み出していることも忘れてはいけないのだと思うのでした。