◆オーダーメイド物語

【あなたのイメージで綴るこの世ならざる世界の物語】


▶︎ご依頼主:豊島多佳子さま

Facebookでの物語企画にご参加くださり、お届けしたふたつの物語ーー"その後の主人公の成長した姿"をおまかせでご依頼いただきました。


▶︎物語

  …*…琥珀の夢、破魔の言の葉…*…

 

 宵闇の中、ナナカマドが灯す朱金の炎が鮮やかに舞う。

 屋敷の門が開くのを待って、やんごとなき隔世の住人たちが厳かな空気を引き連れて帰っていくのを、私は治癒院の主として見送った。

 彼らからはシャンララとこの世ならざる澄んだ音がこぼれ落ち、尾を引きながら消えていく繊細なる旋律は、聴く者に心地よい余韻を残す。

 やがてその背が時の向こうへと溶けていき、照らすナナカマドの灯りも儚く消えて、そうしてこの度の治療が無事に終えられたことを確信したところで、ようやく安堵の息をもらした。

 幾度目であっても、やはり緊張する。

 それでも屋敷へ戻る私の足取りは軽く、口元にはかすかに笑みが浮かんでいた。

 

「ああ……先生が神様から賜った医療とやらは、やはりすごいのですねぇ」

 診療室では、穢れ落としの箒を手にした弟子が、瞳に畏怖と憧憬をにじませ、迎えてくれる。

「かの方々を蝕むあれほどの症例さえも、先生は癒してしまわれる」

「あなたはそう言ってくれるけれど、でも、すべては、お師匠様のおかげなのよ」

 なんの衒いも謙遜もなく、ただ本心から生まれる自らの言葉を自らの耳で聴きながら、ふわりと心が遠い過去に触れて揺れた。

 こみ上げるのは、一抹の寂しさと懐かしさだ。

「私の医学知識は、前世から持ち込んだというのは、以前にも話したことがあると思うのだけれど」

 あの日、森で薬草を採取していた幼い私の視界に入ってきたのは、オパール色に揺らぐ夜空を優雅に泳ぐ、幾千もの星をまとった鯨の姿だった。

「はい。空神様の渡りを目撃された際によみがえった賜りものと」

 ソレを目にした瞬間、『自分のいた世界ではまずありえない光景』だと断じるもうひとりの声が頭の中で大きく響き。

 これまでこの世界で過ごしてきた五年分の記憶と、突然思い出してしまった元の世界での数十年分の記憶が混ざり合い、はじけ、ハレーションを起こした。

「けれどね、そのままでは使えない知識も多かったの」

 公衆衛生、病理学、身体管理にメンタルヘルス――あらゆるものが、あちらとこちらでは似て非なる摂理によっていたのだから。

「それを丁寧に紐解き、読み解き、この世界に馴染ませてくれたのが、私のお師匠様なのよ」

 気が遠くなるほどに長い時間をかけて、己の叡智を惜しげもなく与え、導いてくれた存在。

「なによりも、そうね……星鯨の渡りに遭遇し、不幸にも前世の記憶を取り戻してしまった私の道は、鯨を追って旅を続ける師との出会いによって、大きく変わったのだわ」

 

 永く短い眠りから不意に目醒めたあの日のことを、私はきっと生涯忘れない。

 

 あふれて止まらない記憶に呑まれ、息ができないほどの情報量に圧し潰され、自分が自分でなくなってしまう恐怖に、魂が壊れるその予兆に、全身で悲鳴をあげた瞬間。

『まさか、こんな瞬間に出くわすとはな』

 重く濃厚な花の香りに包まれ、

『怯えることはない。お前はお前、いかようにも変化する、それもまた人なればこそ』

 力強く抱きしめられた。

『お前の在りようは、世界の理にすら干渉するのだろうがな』

 師が私をありったけの魔力と呪術で持って私を抱きしめ、それがの魂を繋ぎ留める結果となったと知れたのは、かなり後になってからだった。

『ならばソレを使えばいい。なに、恐れることはない。俺がついていてやろう』

 見ず知らずの私に差し伸べてくれた手はどこまでも力強く、弟子として迎えてくれた眼差しはどこまでも温もりに満ちていた。

 天涯孤独ゆえに生まれた胸の虚ろも、異世界の記憶とともに穿たれた魂の傷も、癒し満たす術を師から学んだ。

 樹木や草花、時にあめつちから得られたものを使って、幽世の方々をもお招きできる治癒院たる屋敷を作り上げられたのも、すべては師があってこそ。

 あの日、あの時、あの森で師匠に出会えたからこそ、今の私は在るのだ。

 

「先生は、本当に先生の先生のことを大切に思われていらっしゃるのですね」

 弟子の声が、私を現実へ引き戻す。

「ああ、ごめんなさいね。なんだかとても懐かしくなってしまって」

「いえ、こうしてお話を伺えることも、僕にとっては勉強なのです」

 いつの間にか物思いにふけってしまっていた私へ、それでも弟子はやわらかく微笑むだけだ。

「あなたって本当に」

 言いかけたその言葉を遮るように、『急患だ』と、焦りを含んだ声が扉の向こうから飛び込んできた。

「先生」

「ええ」

 瞬時に、治癒者としての私に思考が切り替わる。

 屋敷内に配した式神たちが一斉に動き出し、門から診察室までを鬼灯の光で連ね彩った。

 そうして燃え上がる赤金の焔がを作り上げれば、ドロリと溶けて自身の形を見失った巨大な不定形の異形が、真っ直ぐに私の前へと運び込まれてくる。

 どす黒い影からは、禍々しい呪いの片鱗が崩れた文字となって糸を引くように滴っていた。

 自らの内側に穿たれた傷から生まれたのだろう、呻く声からも毒は零れ、赤い実のチカラがなければきっと辺り一帯が融け落ちていた。

「よく、ここまで来てくださいましたね」

私は訪れた存在へと向き合い、淀んだ黒い存在へと労いの言葉をかける。言葉をかけながら、病巣を探る。

「もう、大丈夫」

 一言一言に想いを込めて、病の大元に巣食うに対し、言葉を紡ぐ。

「あなたがここに来てくれた。私はあなたと出会った。だから、もう大丈夫」

 臆することなく手を差し伸べ、声を届ける。

 かつて生まれ育った国で根付いていた言霊信仰が、師匠の教えを経て、チカラとなった。

 ソレは魂へと直接触れることができるチカラ、生命への賛歌と癒し、言の葉に宿る神の息吹。

「私に、あなたの声を聴かせてください」

 もだえるように大きくゆがむ黒い渦の中から、抵抗するようにバチバチと火花が散った。

 変容の兆しだ。

 私はそっと微笑みかける。

 さらに丁寧に、慎重に、繊細な硝子細工へ対するように、言の葉に癒しを乗せて触れていけば――やがて、うぐぅ、ぐがぁと、言葉にならない言葉を落として苦しみ悶え蠢く影がその動きを不意に止めた。

 それを合図に、幾重にもまとわりつく呪毒の文字も次々と剥がれ、ほどけて、消えていく。

 やがて自身の形を取り戻しはじめた相手の双眸から、ほとりと透明な雫がこぼれて、落ちて。

 ゆらり。

 診察室内を取り囲む鬼灯の赤が消えて、代わりにナナカマドの光が灯り、治療の終わりが告げられた。

 

 *

 

「今日はずいぶんと急患の多い日でしたね、先生」

 あの後も繰り返し朱金の光が乱舞し、すべてを終えるころには空が白み始めていた。

「まるで、師匠と診療所を開いたばかりのあの頃みたいで懐かしかったわ」

 診療録の記載のためにと取り出した鼈甲細工のペンを指先でなぞれば、いまだほのかな魔力の残滓を感じることができる。

 

『進むその道に惑うことはない』

『なにがあろうと、お前を一番そばで見守っているよ』

 

 それは、かつて時を超えて届いた言葉。

 黄色から赤、赤褐色、黒と複雑に混ざり合った紋様は《時の海》を表しているのだと、どこか悪戯めいた笑みで師は語ってくれたことも思い出す。

 いま、私のそばに師匠の姿はない。

 けれど、師の教えは傍らにある。

 そして私はいま確かにここにいる。

 為すべきことを成すために、あらゆる変容と在りようとを受け入れて、魂が望むままに果てぬ夢と理想を追い続けている。

 

 

Copyright 物語ライターりん



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