自分が平気なことが、相手も平気とは限らない

自分が好きなものが、相手も好きとは限らない

自分が嬉しくても、相手が嬉しいとは限らない


いま、相手にとって必要なことは何か?

いま、相手にとって心地よいこととは何か?


もちろん、そこには互いの価値観だけではなくてタイミングなんかも関係はしてきます。


自分がされて嫌なことは相手にしない。

でも、自分は嬉しくても(良かれと思っても)相手は嬉しくないこともある。


ここはもう、どんだけ想像しても想定しても、結果としてずれてしまうことだってあります。


だから、確認や擦り合わせが必要で。

歩み寄りや説明も必要で。

自分と相手は別の人間,別の価値観であることを受け入れることが必要にもなってします。


ただ、あんまり難しいことを考えると身動き取れなくなっちゃうので。


とりあえず、

『良かれと思ってしたことが、相手にはそうではないかもしれない』


その可能性を頭の片隅に置きつつ、でも顔色を窺うのではなくてお互いに気持ちよく気遣えたら最高だなとも思うのでした。


これは、看護の世界でも、カウンセリングの世界でも言えること。

ケアを提供する側であれば一層、相手の立場で物事を捉える訓練は必要になっていくので、感覚を研ぎ澄ませる必要も出てきます。



ちなみに。

ヨーロッパの諺にこんなものがあります。


『地獄への道は善意で敷き詰められている』


悪意は善意に隠されている、という意味だったり、良かれと思ってしたことが思わぬ結果になるという意味も含んでいるとか。


あとは、やらない善よりやる偽善。

自分がしたくてしたことなら、見返りは期待しないと決めちゃうと心安らか。


なお、さきほどのことわざ、別の言い方では、

『地獄への道は善意で満ちているが、天国の道は善行で満ちている』

というのもある模様。

こちらはちょっと意味合いが変わってくるので調べると楽しいです。