いとしの喜味へ
吉本新喜劇が笑えるのは、人をおちょくる、とぼける、意味の通じない思わぬ返しをする、などなど、いろんな原理が働いているが、ギャグが定着して笑えるのは、前に見たおもしろかったものが、また見られるからである。
前に笑ったあのギャグだとわかると、その時点でおもしろさが思い出され、来るぞ来るぞ、とすでに笑う準備をしてくれているので、言うだけでキターーー♪的なおもしろさを感じてもらえる。さらに、そこでそう使えるか、という意外性なんかもあわせられれば、うまいなああ☆と、感心できるおもしろさが増す。
わたしのばあいは、後者をたくみに使える技能派が好きである。
技能派で言えば、もうひとつこだわっているのが、漫才のオチである。初めの方で出てきたことを、最後にもういちどひっかけて出すと、全体がまとまった漫才になり、そこに、ある種、芸術作品的な完成度が生まれる。
時間切れのようなものでないそういう締め方が、わたしは好きだ。
家族、友人のあいだでは、締める必要はないが、普段の会話にも、かなり昔の話でも一緒に笑った体験、または笑ってなくてもあったあったと思える共通の体験を混ぜ込んで話をする。そうすると、必ず、昔のことを持ち出したことに笑いが生まれ、あれおもしろかったなあ♪もしくは、それあったなああ♪と思い出して笑い、そこにもっていくかああ、という論理のおもしろさや意外性に立ち返って、もういちど笑いがこみあげてくる。
これは、共通の笑いの体験がない人にむけても言っても、もちろんのこと、相手にはまったくおもしろくもなんともない。何でそう言ったかっていうとー、と説明を加えなければならなくなる。説明などなくても、通じ合って笑い合える会話が一番楽しい。
人生も吉本や漫才とおんなじで、そうやって、昔の経験を掘り起こして笑いを生み出すことが出来れば、笑いはエンドレスで、毎日の生活の楽しさは何倍にも増すのではないだろうか。ということは、かつて同じ時間や笑いを共有した人と一緒にいることが大事であるということだ。
昔、関西で、今は東京で活躍する千原兄弟、ジャリズム(世界のナベアツの)、ケンドーコバヤシ、陣内智則、サバンナ、中川家などなどそうそうたる面々が集って、好きなもんどうしで好きなコントをやり、劇場で客が入れた得点で順位をつけて放送する、いまや伝説と語り継がれる「すんげ~!!Best10」という番組があった。のちに、現在のお笑い番組ブームに火をつけた「オンエアバトル」は、この番組の得点化手法を基にしている。
ほかにも、フットボールアワー(ドレスと後藤・天満)、灘儀武(スミス夫人)、たむらけんじ(LaLaLa)、2丁拳銃など、関西でがんばる組、では、メッセンジャー、海原やすよ・ともこ、$10など、数え上げればきりがないほど、現在の第一線が出演していた。
ここで覚えておいてほしいのは、この、今、活躍している全員が昔から笑えたかというと、必ずしもそうではなかった、ということである。
ケンドーコバヤシ(松口VS小林、モストデンジャラスコンビとしても)や、野生爆弾は、内輪ウケしたり、自分たちは楽しそうにやっていたりしたが、わからないものにとってはまったくうわすべり、彼らの思いはからまわり、であった。灘儀武や岩尾などは、オンタイムで見ている少年少女にとっては気持ち悪い、いや、気持ちが悪い、だけであった。
しかし、この番組を見ていた人には、また、同じ時間をともに過ごしてやっていた当の本人たちにとってもきっと、15年を経た今現在、おもしろいことが山盛りになっているわけである。「あらびき団」や「レッドカーペット」などで、全国ネットの画面で再会を果たした彼らが、スポットを浴びながら昔「すんげ~」で見たそれっぽいものをやった日には、涙もので大喜びである。当時を知らない人が笑っているのよりも、熟成された深みのある笑いを感じられるのである。非常にお得感を感じられる。そして、継続は力なり、やり続けていれば時代は来るんだ、と感慨深い思いがする。
(ちなみにこの「すんげ~」、youtubeで少し見ることが出来たりはするが、当時の愛好家たちの切望もむなしく、DVD化の見通しはないそうである。)
わたしには、まさに、その伝説の番組をともに見て、馬鹿笑いしあった人がいる。
この人となら、同じところで笑える。後日、この前見たギャグを話の中にかぶせても、ちゃんとわかって笑い合える。この人を一生放してはいけない、わたしが生涯をともにするのはこの人だ。そう心に誓ったものだ。
ところが、その人とはこの10年で数回しか会うことができなくなっていた。おもしろい現象に出くわしたときは、必ず、一緒に体験したかった、と思った。あのフレーズを言いたいのに、ここでは誰もわかってくれないよ、、、と叫んだ。さびしさと、さらにすれ違いで会えなかったりもしてせつなさが募り、愛しさと、心強さと、をいつも感じているぐらい愛しすぎて、いざ会っても恥ずかしくて目を合わせることさえできない気分でいる。
けれど、わたしは決めている。年老いてのちは、この人と一緒に老人ホームに入ろうと。目も耳も悪くなり、「ぎゅうにゅうやさ~ん!」が「じゅにあさ~ん!」に聞こえたり、ファミコンをごはんとまちがえてカレーをさら~とかけてしまったりもするかもしれない、きっとわざとボケているのも、本当にぼけているのかもわからなくなってしまうだろうが、一緒にWぼけをしたい。
老後を彼女とともに暮らすことができれば、2人の人生も完成度が増すではないか。いろいろやりたい放題やった後、かなり前の生活に戻り、もう一笑いしあって芸術作品のように、「もう、、ええ、わ。どうも、ありがと、う、ございました。。。」、と人生を終えられたなら最高だ。
これだけ笑いを語っておいて、オチをつけられないのが非常に残g念gだが、もう授業の時間なので行かなければ。
って時間切れかーーい。
どうも
ありがとうございました。
あいするひとへ
える
おー
ぶい
えー
L
O
V
A
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泣いた?泣いた?なあなあ*