とある場で イヤーな気持ちになった。
あるかたの発言が 私には「我が子自慢」にしか聞こえなかった。
嫌な気持ちは 言うなれば「アレルギー反応」のようなもの。
さすれば 「アレルゲン」があるはず。
せっかく症状が出てくれたので スルーせずに内観することにした。
その時の状況をまず振り返ってみる。
その場の流れを思い返しても あの発言は「自慢話」ではない。
確かめようはないが その場にいた他の方々は 「自慢話」とは捉えてはいなかったはず。
やはり 私だけがそのように受け取ってしまったのだろう。
なぜ?
何が気に障った?
と掘り下げると ふと思い当たることが。
それは「人前で平然と我が子を誉めることのできる親」に反応した?
なぜ?
それは 私が「人前でもダメな子とレッテルを張られた子どもだから」
そんな思いが出てきた。
昭和あるあるだと思うけど こんなシチュエーションだったような。
近所のおばちゃん「○○ちゃんは良くできたお子さんよね。」
母「いえいえそんなことないんですよ。この子はダメなんですよ。」
古い日本には 自分を謙遜、いや 貶めて 相手を持ち上げる。
そんな風習が根強くあった。
それが あろうことか私の目の前で繰り広げられたのだ。
その時の悲しいような悔しいような そんな思いだけが残っていたのか?
このシーンは これまでにもふとした拍子に蘇ることは幾度もあったけど
その度にスルーしてきたのかもしれない。
その蓋をした思いが 今回のことがきっかけでまた出てきたのかも。
なので 今回はスルーせず 蓋もせず
蓋を外して 解放してあげよう。
そんな気持ちになった。
きっと悲しかったんだよね?
悔しかったんだよね?
あの頃の私に声をかける。
そして 親に誉めてもらえなかった分 私が誉めてあげよう。
よくやって来たね。 頑張ってきたね。と
感情には蓋をせず、押し込めず、味わう。
自分の本当の気持ちを認めることで その思いは昇華する。
嫌な気持ちになったときは 自分の「本当」を見つけるチャンス。
そして 出てきた思いは出す。
このブログは 私にとって「出す」場でもある。
いつも読んでくださってる皆さん 本当にありがとうございます😃
