真夏の午後3時過ぎ。
成田空港から、
一歩外に出たアスファルトは
8月のギラギラした太陽が
まだ照りつけていた。
やっと日本に戻ってきたんだ。。。
サンシャイン州から、日本への
直行便はまだ出ていないので
面倒だが、乗り換えしかない。
前回のユナイテッド航空では
乗り換えする全ての航空機の
遅滞遅滞の連続だっため
予定が大幅に狂ってしまった。
到着地である
成田空港の最終リムジンには間に合わず
急遽、羽田空港へと便を変えて
進路変更をしたが
それでも最終リムジンの午前零時には
ギリギリのタイムだったため
羽田空港内を
たくさんの荷物を引きづりながら
息も途切れ途切れに
ダッシュした苦い経験があった。
それなので今回はサンシャイン州の
T空港から
GAのアトランタ空港まで出て
デルタ航空での成田直行便を選んだ。
それが正解だった。
しかし今回は
母親宅にはこのまま帰れなかった。
私が日本を出国した当時
認知症の母は
私を探し回り、ご近所さん宅を
一軒一軒、訪ね歩いていた。
交番まで行って
娘が誰かに誘拐されたと
訴えに行った事も、何回かあるらしい。
その度に交番から、ケアマネに連絡が入り
母を迎えに行ってくれたそうだ。
でもいつしかそういう母の
不審な行動はなくなり
私の話もしなくなっていったと
ケアマネから聞いていたので
それは母の記憶から、私が消された?!
可能性も高いのだ。
ケアマネに
「私の事を母は覚えているんでしょうか?」
と聞くと
「そればかりはなんとも言えません。。
認知症は進行しています。
お母様にとって、娘さんが
お留守だった半年間は長かったはずです。」
ピンポーン!とドアチャイムを鳴らして
ガチャリと開けた母に
「???どなた様で???」
もし、このセリフを言われた時の衝撃は
長時間の空の長旅をしてきた私には
耐え難い悲痛であり苦痛であった。
全く見ず知らずの人間を
用心深い母は
決して玄関先にも
上げる事はしないだろう。
私が宿泊できる場所もなくなるのだ。
ボストンバッグと
メガスーツケースを引きづりながら
私は途方に暮れる。。。
そういう非常事態も考えて
帰国したその晩は、
千葉県内に住む友人宅に
泊まらせてもらう事にしていた。
長旅で疲労困憊している心身を
友人宅でしっかりと
充電させてもらってから
後日出陣しよう。。。
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