ブログを書き続けて
お陰様で一年が過ぎました。
ペタやいいね、コメント、その他
応援や訪問して下さる皆様のお陰様ですので
誠にありがとうございます。

赤裸々に自身の人生体験を
エッセイにして、書き綴ってきましたが
国際離婚から、今は認知症の介護の話題に
ふれております。

私の母親は、
世間で流行りの言葉で言いますと、
毒親でした。
母親に抱き締めてもらったり
頭や顔を撫でられたり
そういうスキンシップの記憶は一切、
ありません。
父親に関しても同じでした。
幼少時代の私にとって
母親は恐ろしい”ヤマンバ“でした。
超自分勝手&自己中心、
短気である母親の意に沿わない時には
どこでもいつでも、罵倒され、叩かれ、
無視されるので
私はいつも母親の顔色を伺う
ビクビクした子供でした。
私自身でいる事は、許されなかったのです。
(過去ブログの“ウツ病を克服して〜”の
ブログに、詳しく書いてあります)

そんなアダルトチルドレンで
母親が大嫌いで大の苦手だった私は
国際結婚をし、日本を飛び出しました。
母親が認知症になったと聞いた時
「自業自得」だなと思ったものでした。
1人娘である私は、
親思いからの介護というよりは
”義務感“と“責任感“の気持ちの方が
最初は大きかったです。

認知症は、理性が失われていくので
母親の私への悪態暴言は
子供時代よりもさらにパワーアップして
私を連日連夜、苦しめました。
過去からの閉じていた心の傷と記憶が
疼きえぐられ
大きく開いてきては、
それは鮮明に蘇り出して
団地の最上階のベランダから
母親を突き落としてやりたいという
悪魔の衝動に駆られた事もあります。

でもいつの頃からでしょうか。
夜空の桜の並木道の下で
あまりにも自分の惨めな境遇に
1人泣いているうちに
”今の私は母親に生かされているんだ“
そう感じたのです。
母親が私に第2の人生のチャンスを
与えてくれたのだと思いました。
母親に心から感謝の気持ちが芽生えた時
初めて私は
老いた母親の手を握ってみたのです。
母親は動揺して、
私の手を振り払いましたが
それでも、私はまた手を繋いで
母親の歩行を手助けしました。
そうすると母親は
”お手手〜繋いで〜野道を〜行けば〜“と
子供ように明るく
童謡を唄い始めました。

この歳になって、初めて
母親とのスキンシップができたのです。
その瞬間、
今までの憎しみや哀しみや怒りや
わだかまりの氷山は全て
淡い泡となって消え去っていきました。
母親との長かった母娘の確執を
超える事ができたのです。
認知症の介護をしながらも
今の私は、穏やかな光の中で
静かな川の流れに心を置いています。

このブログを読んでいる皆様の中にも
もしかしたら、ご家族との確執がある方が
いらっしゃるかもしれません。

「あの人があぁだったから
私もあの人と同じ道を行く」
それとも
「あの人はあぁだったけれど私は
あの人を赦す道を行く」

どちらを選択するのも自由であって
その選択には、正しいのか間違いなのか
答えはありません。
そして誰もそれを
ジャッジする事もできません。

人間の一生は長いようで短いです。
怒りや憎しみの執着を捨て去って
他者の過ちを赦せる自分になったとき
心の重荷から解放されて
心の傷の細胞達は急速に
修復作業を始め、完治を成し遂げるのです。
そして新しい細胞へと生まれ変わり
これからのあなたの人生には
今まで見る事のできなかった何かが
見えてきます。

長い長い暗いトンネルを抜け出して
光のシャワーを存分に浴びる事でしょう。

限りある生命を自分もあの人も
今日を生きています。
どうかご自分に後悔のない選択をして下さい。


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