既存の仏教は「末法」の世を過ぎて「無法」の時代に入っている、
というのがぼくの見解です。「無法」はある人の言葉ですが、
もう20年も前に聞いて、とても納得できたので、それを自分の
考えの基盤にしてきたのです。
また、あるキリスト教系の司祭は「大乗仏教はもう死んでいる」
という発言をされていました。これも10年以上前に聞いて、
なるほどと頷いたのでした。(ちょうど韓国の仏教の僧侶が
暴動を起こしたことについてだったと記憶しています。)
たしかに日本は仏教国といわれながら、その教えはまったくと
言っていいほど顧みられなくなっています。
根本の教えである、「四諦」や「八正道」はほとんどの人は
知りませんし、「小乗仏教」と「大乗仏教」の区別すら判らなく
なっているのが現状です。
ではわれわれはどういう態度で「無法」時代の仏教に対して
いけばいいのでしょうか?
そのヒントになる言葉があります。
〈私たちが、意識を覆うこの二重の群雲を吹き払い、ヨーロッパに
おけるキリスト教史の陰の側面を認識し、オカルティズムに対する
誤解を解き、その上でなによりも、自分の足元に帰って、かろうじて
まだ残されている霊性のカンテラにふたたび火を入れようと努力する
とき、そのときこそ、実は、シュタイナーの思想的営為から、力強い
インスピレーションを得ることができるのである。なぜなら、シュタイナー
自身が、みずからの足元の霊性を徹底して掘り起こそうとした人間だ
からだ。〉(小杉英了著『シュタイナー入門』《ちくま新書》)
「意識を覆う二重の群雲」とは、シュタイナーの思想の、西洋キリスト教の
陰にかくれているオカルト的側面と近代以降あいまいにされている日本の
伝統的な霊的伝承のことです。
日本の文化の精髄は天台宗学だと小杉氏は指摘していますが、これは間違い
ないでしょう。その宗派の帰依の経典は『法華経』であるという事実を無視
することも、またできないことでしょう。
ぼくは法華至上主義ではなく、ただ事実を述べようと思うのです。
日本人にとって、「みずからの足元の霊性」を探る手立ては『法華経』に
あるのです。(もちろん、神道系の霊性も考慮にいれながら。)
次回以降はシュタイナーの「仏教論」を紹介していきたいと思います。
というのがぼくの見解です。「無法」はある人の言葉ですが、
もう20年も前に聞いて、とても納得できたので、それを自分の
考えの基盤にしてきたのです。
また、あるキリスト教系の司祭は「大乗仏教はもう死んでいる」
という発言をされていました。これも10年以上前に聞いて、
なるほどと頷いたのでした。(ちょうど韓国の仏教の僧侶が
暴動を起こしたことについてだったと記憶しています。)
たしかに日本は仏教国といわれながら、その教えはまったくと
言っていいほど顧みられなくなっています。
根本の教えである、「四諦」や「八正道」はほとんどの人は
知りませんし、「小乗仏教」と「大乗仏教」の区別すら判らなく
なっているのが現状です。
ではわれわれはどういう態度で「無法」時代の仏教に対して
いけばいいのでしょうか?
そのヒントになる言葉があります。
〈私たちが、意識を覆うこの二重の群雲を吹き払い、ヨーロッパに
おけるキリスト教史の陰の側面を認識し、オカルティズムに対する
誤解を解き、その上でなによりも、自分の足元に帰って、かろうじて
まだ残されている霊性のカンテラにふたたび火を入れようと努力する
とき、そのときこそ、実は、シュタイナーの思想的営為から、力強い
インスピレーションを得ることができるのである。なぜなら、シュタイナー
自身が、みずからの足元の霊性を徹底して掘り起こそうとした人間だ
からだ。〉(小杉英了著『シュタイナー入門』《ちくま新書》)
「意識を覆う二重の群雲」とは、シュタイナーの思想の、西洋キリスト教の
陰にかくれているオカルト的側面と近代以降あいまいにされている日本の
伝統的な霊的伝承のことです。
日本の文化の精髄は天台宗学だと小杉氏は指摘していますが、これは間違い
ないでしょう。その宗派の帰依の経典は『法華経』であるという事実を無視
することも、またできないことでしょう。
ぼくは法華至上主義ではなく、ただ事実を述べようと思うのです。
日本人にとって、「みずからの足元の霊性」を探る手立ては『法華経』に
あるのです。(もちろん、神道系の霊性も考慮にいれながら。)
次回以降はシュタイナーの「仏教論」を紹介していきたいと思います。