前半まで観て確信した通り、後半も最終話まで実に素晴らしいドラマだった。

 

前半は、辞書作りの様々な工程・作業のエピソードを通して、主人公・岸辺みどり(池田エライザ)が次第に辞書作りの楽しさ、魅力に引き込まれ、自分自身のこれまでの生き方を振り返って、人間的にも成長していく様子が生き生きと描かれていた。

後半では、事業に厳しい社長・五十嵐からの紙の辞書刊行への疑問・詰問への対応から始まり、装丁画家・ハルガスミへのオファー、究極の紙作りへの挑戦、そして、見出し語の記載漏れの発覚、コロナ禍の到来、監修者・松本(柴田恭兵)の闘病、と大渡海発刊に次々と立ちふさがる困難に、逞しく成長したみどりが、信頼する辞書作りの仲間としっかり手を携え、毅然として立ち向かう、その情熱溢れる姿が感動の涙を誘う。

ドラマはもちろん、みどり一人の物語ではなく、辞書編集の責任者でみどりを強く導くもう一人の主人公・馬締(野田洋次郎)をはじめとして、辞書編集部や営業部、製紙メーカーなど様々な役割を担う多彩なキャラクターが、それぞれに辞書に対する深い思い入れを持ち、それぞれの心情、お互いに対する想い、背景にあるストーリーが丁寧に語られ、とても立体的で奥行きと深みのある、密度の濃い辞書作りの世界が描写されている。

このリアリティー溢れる多層性と没入感がこのドラマの魅力。

そうであってこそ、ドラマのテーマである、ことばが自分の気持ちを誰かに伝え、人と人とを結びつける、そんな言葉の本当の力、その大切さ、尊さ、を実感をもって訴えることができる。

 

これ、原作の本来の主人公・馬締ではなく、もともとは辞書作りに巻き込まれるキャラクターでしかなかった岸辺みどりをあえて主人公に据える、という脚本家のビジョンが大成功をおさめている、と思う。

この大胆なアレンジにより、視聴者は辞書作りに縁のなかった素人の新鮮な目線で物語の世界に少しずつ引き込まれていき、みどりと同じように、様々な気づきを得て、仲間のキャラクターへの想いを、共有、共感を深めていくことになる。

その描写のコアが、ドラマという映像作品にもかかわらず、キャラクターの台詞に散りばめられた、印象深く、含蓄の深い「ことば」で構成されている、というのが、このドラマの脚本家・蛭田直美の手腕の舌を巻く見事さだ。

このドラマを観終わった後で、同じ原作の映画作品(監督・石井裕也、主演・松田龍平)も観てみたのだが、こちらはどちらかと言うと、映像作品であることを前面に出して、ことばの行間にあるものを余韻や詩情として表現する、そういう作品で、ドラマとは非常に対照的。どちらがどうと言うわけではないが、原作である小説が当然のこととして「ことば」のみで紡がれているのを、あえて映像作品として「ことば」を中軸に編み上げた、このドラマの斬新な工夫はとても画期的だと思った。

 

言うまでもなく、脚本家の意図を寸分たがわぬ的確さで実現した、演者・スタッフもみな完璧な仕事ぶりだったと思う。

中でも、自分の印象としては、主演・池田エライザの芝居の素晴らしさは特筆もの。彼女の嘘のない、真摯で実感に満ちたキャラクター表現がなければ、このドラマの世界の実在感・没入感は実現できなかった。

前からずっと気になっていた女優だけど、自分の中では、波瑠さんに次ぐ、お気に入りの役者になった。(これからは、池田エライザさんと呼ぼうかしらん(笑))

ちょうど波瑠さんが連ドラ・初主演のNHK-BSドラマ「おそろし」で実力を遺憾なく発揮し、その翌年の朝ドラ「あさが来た」でブレイクしたように、池田エライザさんもこの後、朝ドラや大河ドラマでさらに飛躍するチャンスがくるのかもしれない。

 

また、このドラマの脚本家の蛭田直美も、同様に、NHK地上波や民放ドラマでも大きな仕事をする予感がある。まあ、ただ、脚本家にとっての朝ドラや大河ドラマは、ちょっと罰ゲーム的な色彩が濃いのだけど(笑)。

 

いずれにせよ、池田エライザさんはじめ、このドラマにかかわった人々の今後の活躍が非常に楽しみ。