ここのところ週一とか隔週ペースで映画を見ているんだけど、今一つ印象に残らない映画が多かったり、逆に、良い映画だなと思っても、そういうときに限って、時間がなかったり、感想がなかなかまとまらなかったりして、ブログに映画の記事を書くのをさぼっていた。

でも、少し時間ができたので、最近観て気になった映画について、感想を簡単にコメントしておこうと思う。

 

フローレンス・ピュー主演のサスペンス・スリラー「ドント・ウォーリー・ダーリン」は、「ブックスマート」の監督オリヴィア・ワイルドの第二作ということで、期待して公開初日に観に行った。

 

悪くはない映画だとは思うけど、自分のツボとはかなりズレてるって感じかな。

 

自分は、映画の要素って、①ビジョン、②ストーリー、③キャラクターの3つだと思ってるんだけど、この映画は、本来①ビジョン中心の作品に徹するべきだったのが、②ストーリーと③キャラクターに引っ張られて、焦点が分散し、作品のインパクトが弱くなってしまった。

 

「ドント・ウォーリー」の言葉が暗示するように、安心と安全、穏やかで、満ち足りて、愛情にあふれた、平和な日常、という絵にかいたような幸福な世界が、実は、暴力と欲望と恐怖によって構築された悪夢のような地獄だという、現代社会の深層をえぐる、それがこの映画のコアではないかと思う。

「現代社会の深層」と書いたのは、この映画があえて描いた1950年代の「古き良き」米国へのノスタルジア、現代においても社会に厳然としてはびこる「保守的」で「伝統的」な価値観や家族像への志向がいかに歪んだ病的なものであるか、ということ。

そして、「男性」の言う「愛」とは、女性に自分だけを愛してほしい、女性を自分のものにしておきたい、という醜いエゴの発露でしかないのに対し、主人公はじめとする「女性」は、その「愛」を男女がお互いに支え合い、助け合う、相手への真摯な共感、深い思いやりだと勘違いしてしまっていること、「愛」という呪縛に囚われて、女性が罠から逃れられなくなってしまうこと。

そういうビジョンを観客の心に強く訴えかける映像表現という意味では、決して失敗しているわけではないけど、やはり中途半端という印象がぬぐえない。

 

映画をミステリー&サスペンス仕立てにしたことで、観客の意識は、どうしても「ストーリー」に向かってしまう。設定の謎解きとか伏線の回収とか、この映画にとってはどうでもいいことなのに、大半の観客はそういう些末なことばかりに気をとられて、肝心の「ビジョン」を見失う。

フローレンス・ピューは良い役者だけど、その演技ばかりが前面に出て、主人公アリスの「キャラクター」としての感情表現が映画の中心になってしまい、不条理な世界観の広がり、観客が暮らす日常世界(=現代社会)とのつながりが断ち切られる。(「アリス」という役名は、「不思議の国のアリス」を連想させるが、不思議の国と現実世界の間には断絶があり、観客にとっては作品世界があくまで「絵空事」になってしまっている。)

 

そういう意味では、この映画に対するネットの感想・レビューはだいたい的外れなものが多いのだけど、「ストーリー」や「キャラクター」という観点からすれば、それがあながち間違いだとも言い切れないのが、惜しいと言えば惜しい。

残念な作品ではあるけど、オリヴィア・ワイルドは才能のある映画監督だと思うので、これに懲りずに(?笑)、次回作以降にも期待したい。