卒業を目前にした凸凹女子高生コンビの羽目外しドタバタ青春学園コメディ、って予告編とか見た限りでは、下ネタ満載の若者向けB級映画って先入観があって、ちょっと自分が観るような映画じゃないよね、という訳で、鑑賞予定リストには入れてなかったんだけど、意外に評判が良さそうなのと、やはり何といっても、女性監督の作品で脚本も女性、主人公も女性ということで、これはハズれないんじゃないか、と思って観てみた。

で、やはり観て正解!予想以上に楽しく面白い映画。

 

 

一流の成功した女性カリスマたちを目標にひたすら勉学中心の地味な高校生活を送り、名門大学への進学をひかえた生徒会長のモーリー(ビーニー・フェルドスタイン)と、いつもモーリーと行動を一緒にしてきた親友で、同性愛者であることをカミングアウトしているエイミー(ケイトリン・ディーヴァー)の二人が主人公。

そんな二人が、高校の卒業式の前日になって、それまで遊んでばかりのパリピと馬鹿にしていたクラスメートたちが自分たちと同レベルの有名大学や一流の優良企業への進路を決めていたことを知り、大きなショックを受ける。

勉強に明け暮れた禁欲的な日々はいったい何だったのか、と一転、自分たちが犠牲にした高校生活の楽しみを何とか取り返そうと、招待されてもいないクラスメートたちの卒業パーティーにモーリーとエイミーが乗り込んでいく、一晩限りのアドベンチャー・ストーリー。

 

いや、こう文字で書いただけだと、結局ドタバタ青春学園コメディってことしか伝わらない(笑)。

でも、このドタバタの内容と展開が実に秀逸。

現代アメリカの高校生のリアルな描写でありながら、ジェットコースターに乗っているような、遊園地のアトラクションを巡っているような、そういうビジュアルやストーリーの多彩な変化の面白さは、パティ―会場を探し出してそこへ辿り着くまでの紆余曲折のアドベンチャーとか、個性的な登場人物たちに振り回される不思議の国のアリスのようなファンタジーとか、観ていて飽きることがない。

特筆すべきは、何といっても、主人公のモーリーとエイミーを含め、愛すべきクラスメートや先生たちのキャラクター。遊び人で人気者、モーリーが密かに恋心を抱いている副生徒会長ニック(メイソン・グッディング)、エイミーが想いを寄せるのはボーイッシュなスケートボーダーのライアン(ヴィクトリア・ルエスガ)、高級車を乗り回す大金持ちだけど皆からバカにされているジャレッド(スカイラー・ギソンド)、同じく金持ちでブランドファッションを身にまとい、ドラッグ好きのエキセントリックなジジ(ビリー・ロード)、一匹狼で孤高のヒッピーのようなホープ(ダイアナ・シルヴァーズ)、シェイクスピアを愛する演劇部員でゲイのジョージ(ノア・ガルヴィン)とトランスジェンダー女性アラン(オースティン・クルート)のコンビ、パリピの尻軽女と噂されトリプルAとあだ名されているけど実は名門大学への進学を決めているアナベル(モリー・ゴードン)、留年を繰り返した年長者だが超優良企業への就職を決めているネイティブ・アメリカン系orメキシコ系(?)のテオ(エドゥアルト・フランコ)、ライアンと同じスケートボーダーの実はエリートでモーリーに好意を持っているアジア系のタナー(ニコ・ヒラガ)、それに頼れる姉貴でスタイル抜群のファイン先生(ジェシカ・ウィリアムズ)、学校に内緒で副業にタクシー運転手や執筆活動をしているブラウン校長(ジェイソン・サダイキス)と、もうほとんどキャラ渋滞しそうなのに、ひとり一人が単なるステレオタイプとしてではなく、それぞれの悩みや葛藤や、人に言えない隠された思いや心優しい一面を持った複雑な人格としてきちんと描かれている。

この短い時間に凝縮されたエピソードの連続の中で、少ない登場シーンであっても過不足なく効果的に人物描写ができているってのは、素晴らしい作品構成力、そして役者一人ひとりの優れた芝居の力だと思う。(そういう意味で、敬意を込めて、役者名を全員明記した)

 

そして、一夜の冒険を経て、モーリーとエイミーが得たものは、それまで先入観で自分たちからよそよそしく壁をつくっていたクラスメートたちへのはじめての理解と共感、自分たち二人お互いの友情のかけがえのなさへの確信。

これ、多様性を認める、と一言で言うけど、みんな違ってみんな良い、とか、そういう軽い話じゃないと思うんだよね。ポリティカル・コレクトネスとか、形だけの設定ではまったくないし、かといって、現代社会の分断と格差へのアンチテーゼとか、そういう大上段に構えた、正義とか公平とか、そういう問題提起とも違う。

当然のこととして、他者に共感し、辛さや悩みや孤独、あるいは喜びや夢を分かち合い、ともに笑い、ともに泣く。そこには、人種とか年齢とか性的志向とか、アイデンティティーとか関係ない。人から与えられたものでも自分が選んだものでも、自分のアイデンティティーにこだわる必要はないし、縛られず、自由に生きていくことができるはず。

 

 

この作品を観て思ったのは、20世紀までの男性原理的な映画の時代はもう終わったんじゃないかということ。

主人公(たいてい男性)が、試練を乗り越え、成長し、仲間を得て、敵や悪を倒し、正義を実現する、偉業を達成する、栄冠を手にする、というような陳腐な英雄神話パターンの映画には、もはや価値がなくなっている。たとえ同じようなパターンに見えても、女性ヒーローの映画であれば、英雄の旅ではなく、シスターフッドの共感こそがテーマになりつつある。

この作品も、主人公であるモーリーやエイミーが通過儀礼みたいに何かを克服して成長するとか、社会的正義(多様性の許容と分断への批判)をメッセージとして主張するとか、そんな詰まらないことよりも、冒険を経ての彼女たちの発見と理解、世界=他者との関係に対する新たな認識の創造、その未来への投射、そうして「映画」という豊かな「遊び」を通じて、観客だけでなく、スタッフもキャストも新たな何かを学ぶ、そんな映画のあり方が見えるような気がする。

モーリーとエイミーの「友情」も、いわゆるホモ・ソーシャルの原理による男同士の友情とはまったく性質が違う。そこにはアイデンティティーの束縛による欺瞞がない。

まあ、あえて言うなら、抽象的な言い方になるけど、正義の論理ではなく、ケアの倫理ってことなのかな。

こういう映画は、一回の鑑賞における瞬間的な感動や興奮のインパクトを極大化するのではなく、何度でも観るたびに味わいが深まる作品になるように思う。本作も、繰り返し何度も観たくなる作品だ。

 

監督のオリヴィア・ワイルドは、これが初監督作品だそうだけど、実に見事な手腕・技量で、今後の作品が非常に楽しみ。個性豊かで魅力的なキャストたちも、みな若くて、将来有望な役者ばかり。これからもチェックしていきたいと思った。