本日公開の波瑠さん主演の久しぶりの映画。
公開初日の一番上映で観てきた。
波瑠さん主演の作品にはずれはない、ってのが持論なんだけど、ファンとしても、正直、これは・・・うーん・・・。
テレビドラマと映画は、やはり違っていて、映画はさすがに監督のビジョンが圧倒的に強く前面に出てしまう。まして脚本も監督が書いているとなると、主演の魅力と芝居の力だけで、出来の良くない作品をリカバリーするのにも限界がある、ってことなんだなあ。
そんなに見ているわけじゃないんだけど、遊川和彦のこれまでの作品はどれも嫌いなものばかり。人間の描き方がすごく独善的で、勝手な思い込みの価値観やメッセージが非常に押しつけがましい。あこぎな設定や嘘くさいプロットばかりで、見ていてうんざりする感じ。
この作品も例外ではない。
この監督は、女性というものがまるで分っていない。
この映画の弥生というキャラクターも、監督の妄想が生み出した、現実には存在しない理想の「女神」のような存在。
10代の少女の純粋性を30年も変わらずとどめる、なんて、昭和おやじの頭の中だけの気持ち悪いファンタジーでしかない。
だいたい「初恋」が美しい夢だなんて、そんなの男だけの思い込み。女性にとっては、「初恋」なんて、たいてい克服すべき、旅立ちの最初の過ち。
女性にとっては、その旅立ちの先に、女性であることによって、社会や世間から押し付けられる価値観や生き方、そういうものとの格闘とその過程での内面の葛藤が待っていて、「男社会」との確執を乗り越えることで、自分自身の本当の姿を見出すことができる。
初恋の男のことをずっと思い続けてくれる、なんて男にとって都合のよい夢物語なんてない。
そういう意味では、波瑠さん演じる弥生は、本来存在しえない架空の人格。この映画では、主人公のように見えて、実は主人公は、成田凌演じるサンタの方。弥生は、サンタの夢の世界に存在する幻のヒロインでしかない。
だから、そういう抽象的な人格を演じるのは、どうしても芝居が嘘になってしまう。
波瑠さんが、この役を断って、映画出演を辞退しようとした、というのは本来そういうことなんだろうな、と思ってすごく納得。
ところが、これはある意味奇跡的なんだけど、波瑠さんが演じる弥生は、そのリアリティーを決して失っていない。ビジュアルでは、思わずスクリーンに釘付け、驚嘆に値する美しさに満ち溢れたシーンの連続なのはもちろん、感情表現や人格の奥行きも申し分ない。
確かに、それは、観ている自分の中にだって、やはりどこか男性的視線みたいなものがあるからだろうなとは思うけど、決してそれだけじゃない。
ピグマリオンの創造した美しい彫像ガラテアさながらの弥生というキャラクターにさえ、しっかりと命を吹き込むことのできる波瑠さんのお芝居には、あらためて溜息が出る。
バスを追いかけて走るシーン、卒業式で真っすぐに前を見据えるシーン、凛とした結婚式のシーン、夫の棺の前でうつむくシーン、サクラのテープを聞いて泣き崩れるシーン、学校の教室で憤って抗議するシーン、それぞれのシーンで弥生という人物が本当に生きているのを強く感じる。
これは、監督の意図に沿っているようで、実は、この映画全体のビジョンから、はっきり遊離して、そこだけが別の時空になっているように見える。
弥生=波瑠さんの魅力だけが作品から独立して、ストーリーやプロットが頭に入ってこない。
もちろん、波瑠さんファンの自分としては、それでもう十分なんだけど。
まあ、映画全体としては、脚本と演出がとにかく雑で、突っ込みどころが多すぎ。描かれるのが3月だけである必然性とか、エピソード描写(波瑠さん以外)が軽すぎるとか、すれ違いといいながら、すれ違いよりもラッキーな偶然の方がずっと多い(笑)とか、出てくるのがリアルさのかけらもない自分勝手で卑怯な人ばかり(本来は善意で優しく見える人こそ克服すべき相手であるべき)とか、最後のシーン、というか、この主題歌が意味不明とか、エトセトラ。
いや、これはあまり言ってはいけないな、まがりなりにも波瑠さん主演作品なんだし。
波瑠さんの無駄遣い、とはあえて言わない。
これ、波瑠さん主演でなかったら、目も当てられない駄作になってた。
波瑠さんだから救われて、何とか映画として形をなしている。
これはこれで、波瑠さんにとっても、いろいろと得るものはあったと思う。
きっと今後につながる作品にはなったはず。
って、でも、遊川和彦の作品は、もうこれっきりにしてほしいけど(笑)。
あ、これ読んでくれた方、今回は「いいね」はいりませんので、よろしく(笑)。