第二次世界大戦下のドイツ、ナチス親衛隊に憧れる10歳の少年の目を通して、ファシズムと戦争の過酷な現実を、皮肉とペーソスたっぷりにコメディ・タッチで描いた映画。

 

観てなかなか良い映画だなと思ったんだけど、感想を書くのはちょっと難しい感じもする。

コメディ・タッチと書いたけど、なかなか気楽に笑える映画じゃない。一つひとつのシーンや演出・表現には割合からっと明るい印象もあるんだけど、ストーリー自体はかなりシリアス。

個々のエピソードには泣ける場面も多く、心をえぐられるような、切ない展開も。

だけど、何故か、素直に物語の世界に没入して、無条件で感動に浸る、ってところがない。

 

ひとつには、この作品のビジョンがかなり「理知的」だということもあるように思う。

また、主人公ジョジョが10歳の少年だというのも、なかなか感情移入がしづらい要因。演じた子役のローマン・グリフィン・デイビスも非常に良い演技だと思ったけど、でも、それもやっぱり「演技」だと感じてしまう。自分は、この映画のヒトラーのような、イマジナリーフレンド(空想上の友人)というのを持ったことがないし、監督自身が演じている重要なキャラクターなんだけど、作品中での役割や意味がいまひとつ分かりづらかった。(確かに、このキャラクターがいないと、10歳の少年の心の揺れ動きや精神的成長を表現するのは非常に難しいのだけど)

いろいろな要素を盛り込んで、それをかなり上手くまとめているとは思うけど、いっそ、もっと混沌とした不条理な映像世界を構築した方が、インパクトも感動も強くなったように思える。もちろん、それは意図してできることじゃなく、多分に偶然によらないとできないことなんだけど。

やっぱり、感情移入や心理上の共鳴は、ユダヤ人少女のエルサの方になるんだよな。

そういう意味では、少し斜めからこの映画を観てしまう結果になったようにも思う。

 

でも、まあ、それでも、この映画のビジョンは、それなりに印象に残る。

少年は、無垢だけど、無知。だけど、そこには成長の大きな余地があって、現実としっかり向き合い、見知らぬ他者とも心から通じ合うことができれば、歪んだ世界の中にも希望を見出すことができる。そういう象徴として、このキャラクターの意味を理解すべきじゃないだろうか。

それは、当たり前だけど、過去の戦争批判なんかじゃなく、現代の歪んだ世界に対する、本来無垢であるはずの人々へ向けたメッセージ。

過去の戦争を描く意味は、過去の戦争と同じ社会構造や精神状況が、現代にも残存し、今でも人々の心を侵しているから。

だから、この映画のリアリティーというのは、これで良い。ドイツ人がドイツ語を話さなくてもよいし、戦争描写がリアルである必要もない。そういうところが問題ではないのだ。

 

何度も引き合いに出して申し訳ないけど、「この世界の片隅に」の感想を書いたときに、戦争を映像作品にする意味はどこにあるのか、と問うた。作品は、あくまでフィクション。記録映像やドキュメンタリーではない。嘘でしか表現できないリアリティーがなければ、意味がない。

「この世界の片隅に」には、そういうリアリティーがまるでなかった。それは、戦争を題材にして描くべき、はっきりした作品ビジョン(表現に値するビジョン)がないからだ。

それに比べれば、この映画は、ビジョンの内容は異なれ、昨年観た「ブレッドウィナー」と同様に、ずっと優れた作品になっていると思った。

 

この映画、アカデミー賞の作品賞にノミネートされてるらしいけど、賞は取らない方がいいんじゃないか、と思ったりする。別に賞を取ることに意味があるなんて思わないけど、タイカ・ワイティティ監督には、独特の才能があり、この先もっと良い映画が作れるはず。本当の栄誉は今後のためにとっておくのが良い。

んー、でも、次作はマーベル作品か(笑)。ま、それはそれで楽しみだけど。